「チャールズ・D・B・キング」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
14行目:
| 出生日 = [[1875年]][[3月12日]]
| 生地 =
| 死亡日 = [[1961年]][[9月4日]]
| 没地 =
| 配偶者 =
20行目:
| サイン =
}}
'''チャールズ・ダンバー・バージェス・キング'''(Charles Dundar Burgess King、[[1875年]][[3月12日]] - [[1961年]][[9月4日]])は[[西アフリカ]][[リベリア|リベリア共和国]]の元[[リベリアの大統領|大統領]]。
 
[[1877年]]リベリアの首都[[モンロビア]]で[[シエラレオネ]]出身の両親の元生まれた。両親はシエラレオネの解放奴隷の子孫[[クリオ (シエラレオネ)|クリオ]]。大学で法律を学び、最高裁判所で働き、後に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]務省になった。[[アーサー・バークレー]]大統領と[[ダニエル・E・ハワード]]大統領下では国務長官を勤める。[[1919年]]5月[[第一次世界大戦]]中、リベリアの国際平和会議でキングは、[[ヴェルサイユ条約]]に署名もした。