「沖縄県」の版間の差分

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「沖縄(おきなわ)」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説([[伊波普猷]])と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説([[東恩納寛惇]])とがあるが、いずれも定説には至っていない。
 
[[淡海三船]]が著した[[鑑真]]の伝記『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』(779年成立)では、[[天平勝宝]]5年[[12月12日 (旧暦)|12月12日]]([[754年]]1月9日)遣唐使一行が阿児奈波島(おきなわじま/あじなわじま/あこなはじま)に漂着したと記されており、この島は沖縄本島のことを指していたという<ref>「沖縄コンパクト事典」阿児奈波島(あこなはじま) 琉球新報社発行2003年3月1日</ref>。のちに中国による呼称の琉球と呼ばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。
 
[[琉球処分]]の際、[[明治|明治政府]]内では「'''琉球県'''」の名称も検討された。これは[[1879年]](明治12年)、[[琉球藩]]を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の[[伊藤博文]]から太政大臣の[[三条実美]]に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、[[中国語]]由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。用語としての「沖縄」は元々は[[沖縄本島]]を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県[[奄美群島]]を除く[[琉球諸島]]全域が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった<ref>『琉球史辞典』[[中山盛茂]] 著、琉球文教図書、1969年</ref>。