「マックス・ヴェーバー」の版間の差分

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== 略年譜 ==
*1864年 [[プロイセン王国]][[エアフルト]]<ref>エアフルトは、[[宗教改革|宗教改革者]][[マルティン・ルター]]が大学生活を送り、卒業後、[[アウグスティヌス会]]の修道院に入って、真摯な修道生活を送ったところ。町中の至る所に大小さまざまな尖塔がある。中心の丘の上に、この町を象徴する大聖堂が聳え立っていて、宗教的な雰囲気を醸し出している。(講談社、『世界の観光地名がわかる事典』の「エアフルト大聖堂」参照)また、[[東独]]に属していたので、ソ連の宇宙飛行士の名を取って[[ユリ・ガガーリン]]環状路10・12番がヴェーバーの生まれた家跡の番地である。生家跡であることを示す金属製の案内板が取り付けられていて、マックスと弟アルフレットの名前が浮き彫りにされている。(長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 30-31ページ)</ref>にて、父は政治家、母は上流階級出身の敬虔な[[プロテスタント]]の裕福な家庭に長男として生まれる。<ref>https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Weber#Early_life_and_family_background</ref>
*1865年 2歳の時[[脳膜炎]]にかかり、華奢でひ弱な体に不釣り合いな大きい顔をしていた<ref name="osabe1">長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 30ページ</ref>。
*1869年 5歳の時、[[エルフルト]]から[[ベルリン]]のシャルロッテンブルグ・ライプニッツ・シュトラーセへ引っ越した。「家庭」から「社会」へ出た。並外れて早熟だった<ref>長部日出雄著 『マックス・ヴェーバー物語 -二十世紀を見抜いた男- 』 新潮社 《新潮選書》 2008年 39ページ</ref>。