「カーペンターズ」の版間の差分

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カーペンターズにとって初となる[[ベスト・アルバム]]は ''"[[:en:The Singles: 1969-1973|The Singles: 1969-1973]]"'' と題され、アメリカとイギリスでアルバムチャートのトップに立っている。特にイギリスにおいては、1974年7月13日に[[エルトン・ジョン]]の『[[カリブ (アルバム)|カリブ]]』にトップを奪われるまでトータル17週も首位に立ち<ref>[[:en:List_of_number-one_albums_from_the_1970s_(UK)|''List of 1970s UK Albums Chart number ones'']]</ref>、70年代に最も売れたアルバムのひとつとなっている。また、このアルバムはアメリカでも2008年までに700万枚以上を売り上げ<ref name="RIAA">{{cite web |url= http://www.riaa.com/index.php|title= RIAA Official Home Page|accessdate=2007-12-29 |work= Recording Industry Association of America}}</ref>、7倍のマルチ・プラチナ・ディスクを授与されている<ref name="RIAA"/>。
 
このベスト・アルバム用に新たに作り直され、アルバムの先行シングルとしてリリースされたのが「[[トップ・オブ・ザ・ワールド (カーペンターズの曲)|トップ・オブ・ザ・ワールド]]」である。1972年リリースのアルバム『[[ア・ソング・フォー・ユー (アルバム)|ア・ソング・フォー・ユー]]』に収められていたこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いたカントリー・シンガーの[[リン・アンダーソン]]がこの曲をカヴァーして1973年にリリースすると、リチャードとカレンも自分たちもシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した。A&Mの仕事仲間であったギル・フリーセンは、アルバム『[[ア・ソング・フォー・ユー (アルバム)|ア・ソング・フォー・ユー]]』からはすでに4枚ものシングル(「ハーティング・イーチ・アザー」、「愛にさよならを」、「小さな愛の願い」、「[[愛は夢の中に]]」)をカットしていることを理由に反対したが<ref name="cr132">{{Harvnb|Coleman|1994|p=132}}</ref>、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年9月にシングルカットされ、同年12月にビルボードHOT100において2週連続で1位となり、カーペンターズにとって2枚目の全米1位シングルとなった。<ref>[[:en:List_of_Hot_100_number-one_singles_of_1973_(U.S.)|''List of Hot 100 number one singles of 1973(U.S.)'']]</ref>
 
=== 1970年代後半 ===