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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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文帝前10年([[紀元前170年]])、薄昭は使者を殺害した罪で自殺した<ref>『漢書』顔師古注引鄭氏によると、文帝は薄昭を処刑するのを望まず、彼に大臣と酒を飲ませ自殺を促したが自殺せず、群臣に喪服を着せ彼のところで哭させたところ、自殺したという。</ref>。
 
軹侯は易侯薄昭の子薄戎奴(易侯)が継ぎ、後に薄戎奴の子薄梁が継いだが、[[紀元前139年]]に軹侯は除かれた。
 
その後、文帝が薄昭を自殺させた事は、皇帝が罪のある[[外戚]]を殺す際の前例としてしばしば引き合いに出されている。