「1942年のメジャーリーグベースボール」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Eraharisi (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Eraharisi (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
14行目:
ワールドシリーズは、カージナルスの勢いがヤンキースを優り、初戦を落とした後に4連勝でシリーズを勝った。
* [[ボストン・レッドソックス]]の[[テッド・ウィリアムズ]]は前年は打率.406で4割打者となったが、この年は打率.356・本塁打36本・打点137で三冠王となった。しかしリーグMVPはヤンキースの[[ジョー・ゴードン]](打率.322・本塁打18本・打点103)であった。この年ゴードンは最多三振95と最多併殺打22を記録している。
* [[ボストン・レッドソックス]]はこの年[[テッド・ウィリアムズ]]が首位・本塁打・打点に最多得点(141)でもあり、[[ジョニー・ペスキー]](打率.331)が最多安打(205本)、投手ではテックス・ヒューソンが最多勝(22勝)・最多奪三振(113)のタイトルを取っている。これでシーズンではヤンキースに9ゲーム差の2位に終わった。
* [[セントルイス・カージナルス]]の[[スタン・ミュージアル]]はこの前年の9月にメジャーデビューした日の試合でダブルヘッダーで6安打してわずか12試合で打率.426の成績となった。そして2年目のこの年には打率.315・本塁打10本・打点72で、リーグ優勝とシリーズ制覇を一度に味わった。そして翌1943年には首位打者となり、以降引退までに首位打者7回、打点王2回、リーグMVP3回に輝き、ナショナルリーグを代表する打者であり、ザ・マンとも呼ばれている。1958年に日米野球で来日した。
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]の[[メル・オット]]はこの年から選手兼任監督となり本塁打30本で本塁打王となった。1932年から11年間で本塁打王6回・打点王1回の一本足打法の左打者はこの翌年に通算500本の大台にのせたが、出場機会が減り、タイトルはこの年が最後となった。
===ナショナルリーグの首位打者 ===
ボストン・ブレーブスの [[アーニー・ロンバルディ]]は打率.330で1938年以来2回目の首位打者となった。ただこの年の記録は105試合出場で打席349・打数309・安打102本であり、当時の首位打者の資格が100試合以上出場であったので有資格者ではあるが、現在からみると1950年から適用された規定打数400(テッド・ウィリアムズは1954年に投手が逃げて四球136を記録したため打数386となり首位打者になれなかった)、1957年から適用された規定打席(全試合数×3.1)にも満たず、最多安打であったカージナルスの[[イーノス・スローター]](打席687・打数591・安打188本・打率.318)が首位打者であるとする見方がある。
== 最終成績 ==
=== レギュラーシーズン ===