「ラール・クリシュナ・アードヴァーニー」の版間の差分

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その後、大衆連盟は[[インド国民会議|国民会議派]]の反主流派や左翼・地方政党と[[ジャナタ党]]を結成。ジャナタ党の選挙勝利で[[モラルジー・デーサーイー]]内閣が成立すると、[[1977年]]から、[[1979年]]まで情報・放送大臣を務める。
 
その後ジャナタ党が内部対立で瓦解すると、アードヴァーニーや[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]]などが中心となり[[インド人民党]]を結成。[[1980年]]から[[1986年]]までインド人民党の[[書記長]]をめた。人民党のトップは3度務めた。[[1998年]]に人民党が勝利しヴァージペーイー内閣が成立すると、内相・副首相を務めた。人民党は[[2004年]]に下野しヴァージペーイーが人民党党首を辞すると、後任の党首に就任。党首在任時には本来のヒンドゥー至上主義を薄めて支持回復を図ったが、党勢の回復に繋がらず[[2009年]]に党首を辞した。現在は、[[グジャラート州]][[ガンディーナガル]]でまた、候補として選挙を行っている。