「黄公望」の版間の差分

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黄は才能はあったが、元代は[[士大夫]]の登竜門であった[[科挙]]が不定期にしか実施されず、行われたとしても旧南宋領域の住人(いわゆる「[[南人]]」)には著しく不利であったため長らく官に就けず、40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく黄自身は無関係の徴税不正事件に連座して失職し、官界での前途を断たれた。
 
その後黄は官途に就こうとせず占い師、戯曲家、[[道士]]などの遍歴を重ねるが、この間、[[趙孟頫]]の知を得て絵画を志し、50歳を過ぎて本格的な画家活動に入り「[[九峰雪霽図]]」などを世に送り出した。
 
79歳の頃、浙江省[[富陽区|富陽]]に移住、この地で描かれた「[[富春山居図]]」は水墨画の代表的な傑作として知られている。