「内ゲバ」の版間の差分

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=== 1964年 ===
* 7月2日 - 革マル派の拠点早大に、中核派・解放派・構改派の3派が殴りこみ<ref name="Tachibana-vol1">{{Harvnb|立花隆|1975|loc=上巻}}</ref>。[[7・2早大事件]]
 
=== 1966年 ===
*9月3日-[[社青同]]東京地本大会で、大会の主導権を巡って解放派と協会派が乱闘、協会派側に百人を越える負傷者をだす。[[社青同東京地本九三事件]]
 
=== 1967年 ===
*2月、3月 - 2月28日から3月2日にかけて、善隣学生会館(現、[[日中友好会館]])で日本共産党系と反日共系・華僑学生が衝突。([[善隣学生会館事件]])
* 10月
** 7日 - 法政大学で、中核派が解放派の高橋幸吉などへリンチ。<ref>「10月6日に日比谷公園でおこなわれた全学連の統一行動で、やっかいな問題が起こったのだった。法大処分闘争に関する中核派のビラの中で、ブントと解放派が批判されていたのだが、これに怒った解放派の全学連書記局員が中核派の書記局員・丸山淳太郎さんを殴ってしまったのである。その場はなんとかおさまったが、明くる7日のこと。8日の行動の打ち合わせで法政大学に行った解放派の書記局員・渡木繁さんと高橋孝吉さんを中核派が拉致し、長時間のリンチをくわえる事態になってしまったのである。大闘争の前日に、三派全学連はとんでもないことになったわけだ。中央大学に集まっていた社学同や解放派は堂の長椅子を解体してゲパ棒を作ると、法大に押しかけて抗議し、解放派の書記局員を救出した。双方がゲパ棒を押し立てての対峠だったけれども、さいわい直接の衝突はなかった。」{{Harv|荒岱介|2008}}</ref>
** 8日 - 羽田闘争において中核派、解放派は内ゲバに備えて[[角材]]と[[ヘルメット]]で武装する。<ref>高木正幸『全学連と全共闘』</ref>この武装は現場で対機動隊に転化され、初めて機動隊を打ち破った。