「マーロン・ブランド」の版間の差分

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[[ファイル:Marlon Brando 1948.jpg|right|200px|thumb|[[1948年]]、[[ホワイトハウス]]にて]]
 
その後電気工、配管工を経て、俳優志望ではなかったが、姉2人が住んでいたニューヨークに出て俳優の仕事に就く。形態模写が得意なため、俳優志望であった2人の姉のうち長女であるジョスリン・ブランドの影響と演技修行中であった姉自身から俳優になるように薦められ、ニューヨークのニュー・スクール・ソシアル・リサーチに入学。[[ステラ・アドラー]]のもとで演技を学ぶ。1947年、[[エリア・カザン]]演出の[[ブロードウェイ]]の舞台『[[欲望という名の電車]]』で準主役の粗野でセクシーな亭主を演じて衆目を集める。
 
[[1950年]]、『男たち』(日本未公開)で映画初出演。1951年、同じくカザンが演出した映画『[[欲望という名の電車 (映画)|欲望という名の電車]]』で同じ役を演じて世界的な大スターへ駆け上がる。このとき彼が下着を普段着に着用していたことがうけ、若者の間に[[Tシャツ]]文化が広まった。