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[[ファイル:Kharaghan.jpg|200px|right|thumb|「ハラガーン双子塔」。1067年に建てられたこの建築は、セルジューク朝の二人の王子の墓廟であり、二つの塔にわかれているのでこの名がある。この塔のある[[ガズヴィーン]]は[[イラン]]の[[カスピ海]]南岸の街で、近郊には「暗殺教団」[[ニザール派]]の[[アラムート]]要塞もある。]]
[[ファイル:Egyptian - Lusterware Plate with Bird Motif - Walters 482036.jpg|200px|right|thumb|商業都市[[フスタート]]。ファーティマ朝の政治的な首都はカイロであったが、その近郊にあったフスタートが商工業の中心地であり貿易の中心地でもあった。画像はフスタートの工房で造られた[[ラスター彩]]陶器で独特な色彩と光沢が特徴的である([[メリーランド州]][[ボルチモア]]の[[ウォルターズ美術館]]蔵)。]]
[[ファイル:Astrolabio andalusí Toledo 1067 (M.A.N.) 04.jpg|thumb|right|200px|[[イスラム科学|イスラム天文学]]。9世紀から始まったイスラム科学の興隆は10世紀から11世紀に一つの頂点を迎えた。画像はイベリア半島で作成された1067年の記名がある「{{仮リンク|アル・サヒルーリのアストロラーベ|es|Astrolabio de al-Sahlî}}」(スペイン国立考古学博物館蔵)。]]
[[File:Burgos - Estatua del Cid 08.jpg|thumb|right|200px|[[エル・シッド]]。[[バレンシア]]の征服で[[レコンキスタ]]の時代を代表する英雄ではあるが、[[カスティーリャ]]王[[アルフォンソ6世]]との確執など波乱に富んだ一生を送った。画像はエル・シッドの故郷ビバールにほど近い[[ブルゴス]]に建てられたエル・シッドの銅像。]]
[[ファイル:Empress_Zoe_mosaic_Hagia_Sophia.jpg|thumb|300px|転換期に立つ東ローマ帝国。マケドニア朝の血統はゾエとテオドラの二人の皇女の配偶者をめぐって錯綜した。画像は[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]内の[[モザイク]]画で、中央のキリストを挟んで、皇后となった[[ゾエ (東ローマ女帝)|ゾエ]]とその夫君である東ローマ皇帝[[コンスタンティノス9世モノマコス|コンスタンティノス9世]]の肖像。この皇帝の時代に東西教会分裂につながる相互破門事件が発生している。]]