「ヒトラー内閣」の版間の差分

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*[[ヴィルヘルム・カイテル]](1938年 - 1945年、陸軍大将〈後、陸軍元帥〉)
;経済大臣
*アルフレート・フーゲンベルク(1933年、国家人民党党首農業・食糧大臣兼任)
*{{仮リンク|クルト・シュミット|de|Kurt Schmitt}}(1933年 - [[1935年]]、ナチ党)
*[[ヒャルマル・シャハト]](1935年 - [[1937年]]、[[ドイツ帝国銀行|ライヒスバンク]]〈中央銀行〉総裁兼任、後にナチ党入党)
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*[[ハンス・ハインリヒ・ラマース]](首相官房長、1937年 - 1945年)
;国務相
上述の大臣は「[[:de:Reichsminister|Reichsminister]]」(大臣、国家大臣、帝国大臣、ライヒ大臣などと訳される)と呼ばれる上級の大臣職であった。ドイツ政府にはこのほかに、イギリスの[[閣外大臣]]に大臣に相当する下位の大臣職が存在し、「[[:de:Staatsminister (Deutschland)|Staatsminister]]」(国務相、国務大臣などと訳される)と呼ばれていた。この地位にあったことが確認されるのは下記の2名である。ただし彼らは「Staatsminister im Rang eines Reichsministers」つまり「閣僚待遇の国務相」と位置づけられていた。
:;閣僚待遇国務相、[[ベーメン・メーレン保護領]]担当([[1943年]]8月20日新設)
*[[カール・ヘルマン・フランク]](1941年 - 1945年、ナチ党)