「日本興業銀行」の版間の差分

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* 1900年3月 - 初代総裁に[[添田壽一]]が就任する。
* 1900年10月 - 第1回興業債券として200万円が発行される。
* 1900年10月 - 銭瓶町の営業所が東京府東京市麹町区銭瓶町一番地(現在の 東京都 千代田区 大手町二丁目 )に新設される。
* 1913年2月 - 第2代総裁に[[志立鐵次郎]]が就任する。
* 1914年1月 - 大阪支店が開店する。
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* 1922年8月 - 第1回割引興業債券が発行される。
* 1923年2月 - 第4代総裁に[[小野英二郎]]が就任する。
* 1923年6月 - 本店営業所が落成し、東京府東京市麹町区永楽二丁目(最終的な 日本興業銀行 本店の所在地)に移転する。
* 1923年9月 - [[関東大震災]]の発生に伴い、震災復旧救済金融を実施する。
* 1927年3月 - [[昭和恐慌]]に際し、中小商工業者などに応急資金の融通を開始する。
* 1927年12月 - 第5代総裁に 鈴木 嶋吉 が就任する。
* 1928年7月 - 名古屋支店が開店する。
* 1930年9月 - 第6代総裁に[[結城豊太郎]]が就任する。
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* 1937年11月 - 北海道支店が開店する。
* 1940年12月 - 第8代総裁に[[河上弘一]]が就任する。
* 1944年8月 - 東北支店が福島県福島市から 宮城県仙台市 に移転。福島出張所が開設される。
 
* [[1945年]] - 敗戦により、閉鎖の危機に瀕する。元々、日本興業銀行 は重工業向けの金融機関であり、[[中島飛行機]](現在の [[富士重工業]])をはじめとする軍需産業への融資が大半を占めていたことから、このことをもって[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]から「戦争への協力である」と見なされたのが災いしたとされている。
* 1946年2月 - [[伊藤謙二]]が第9代総裁に就任する。
* 1946年8月 - 復興金融部が創設される。これに合わせて復興特別融資が開始された。
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* 1951年8月 - 福島出張所が支店へと昇格する。
* 1951年10月 - 北海道支店が「札幌支店」に改称する。
* 1951年10月 - 東北支店 仙台支店 へと名称を変更する。
* [[1952年]] - [[長期信用銀行法]]が施行されたことにより、同法に基づく長期信用銀行へ転換する。資本金は当時の価格で26億9000万円が用意された。
* 1956年10月 - ニューヨークに事務所が開設される。
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* 1962年7月 - 東南アジア産業金融セミナーが開始される。
* 1965年3月 - ロンドンに駐在員事務所が開設される。
* 1967年11月 - 本店が仮店舗(現在の 東京駅 八重洲南口)へ移転する。
* 1967年11月 - 中小工業部が東京支店(末期は中堅企業センターとしてその姿を残していた)として発足する。
* 1968年5月 - [[正宗猪早夫]]が第3代頭取に就任する。
* 1969年7月 - 利付興業債券が売出発行方式を採用する。
* 1969年12月 - 式会社パシフィックリース(末期は 興銀リース式会社としてその姿を残していた)が設立される。
* 1970年3月 - 債券オンラインがスタートする。
* 1970年5月 - 日本経営システム(株)が設立される。
* 1970年 11月 - 横浜支店が開店する。
* 1971年9月 - ロンドン駐在員事務所が支店に昇格する。
* 1972年12月 - ニューヨーク駐在員事務所が支店に昇格する。
* 1973年10月 - サンパウロ駐在員事務所が開設される。
* 1973年11月 - ルクセンブルグ興銀 が設立される。
* 1974年2月 - 新本店が竣工し、最終的な現在の地に移転する。
* 1974年3月 - ロサンゼルス支店が開店する。
* 1974年11月 - 興銀信託 ( 後の IBJトラストカンパニー ) が設立される。
* 1975年3月 - 新宿支店が開店する。
* 1975年4月 - '''ロンドン興銀'''が設立される。
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* 1979年8月 - メキシコ駐在員事務所が開設される。
* 1979年11月 - 池袋支店が開店する。
* 1980年2月 - 日中米間初の合弁金融会社 CCICファイナンス リミテッド ( 中芝興業財務有限公司 ) を香港に設立する。
* 1981年3月 - マドリード駐在員事務所が解説される。
* 1981年3月 - クアラルンプール駐在員事務所が開設される。
* 1981年5月 - 長期信用銀行法が改正され、債券発行限度 自己資本の20倍から30倍へ拡大される。
* 1981年9月 - 北京駐在員事務所が開設される。
* 1981年10月 - 新型商品「[[リッキーワイド]]」の発売を開始する。
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* 1983年4月 - アトランタ駐在員事務所が開設される。
* 1983年6月 - パリ駐在員事務所がパリ支店に昇格し、営業を開始する。
* 1983年10月 - 証券3社( [[新日本証券]]・[[和光証券]]・[[岡三証券]] )と 共同コンピュータサービス () 式会社を設立する。
* 1983年11月 - 藤沢支店が開店する。
* 1983年12月 - バンコク駐在員事務所が開設される。
* 1984年3月 - 広州駐在員事務所が開設される。
* 1984年4月 - [[日興證券]] () 式会社と合弁で () 式会社アイ・エヌ情報センター を設立する。
* 1984年6月 - 公共債ディーリング業務を開始する。
* 1984年6月 - インドネシア国営商業銀行バンク・ブミダヤ と合弁で ブミダヤ興銀リース を設立する。
* 1984年6月 - [[中村金夫]]が第5代頭取に就任する。
* 1984年10月 - 日本橋支店が開店する。
* 1984年12月 - 町田支店が開店する。
* 1985年1月 - 「債券総合口座」の取り扱いを開始する。
* 1985年4月 - 市場金利連動型預金・MMC の取り扱いを開始する。
* 1985年4月 - 大連駐在員事務所が開設される。
* 1985年9月 - オーストラリア興銀 が設立される。
* 1985年10月 - 興銀投資顧問 () 式会社(後の[[DIAMアセットマネジメント]])が設立される。
* 1985年10月 - 自由金利定期預金の取り扱いを開始する。
* 1985年10月 - 東証の特別参加者として債券先物市場に参加する。
* 1985年12月 - 米国[[シュローダー]]銀行 に資本参加する。そして、日本興業銀行 の現地法人になる。
* 1986年3月 - 興銀ビジネスサービス () 式会社が設立される。
* 1986年6月 - 難波支店が開店する。
* 1986年7月 - 興銀カードサービス () 式会社が設立される。
* 1986年12月 - IBJシュローダー銀行 米国プライマリーディーラー A.G. ランストン を買取する。
* 1987年4月 - シカゴ駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1987年9月 - シンガポール興銀 が設立される。
* 1987年10月 - 当行初の株主割当による中間発行増資が実施され、新資本金は 2125億7858万9526円 となった。
* 1988年4月 - ソウル駐在員事務所が開設される。
* 1988年4月 - [[ケイマン]]支店が開店する。
* 1988年7月 - 興銀信用保証 () 式会社が設立される。
* 1988年10月 - 株主割当による中間発行増資が実施され、新資本金は 3520億 4532万4686円 となった。
* 1988年11月 - 金投資口座の発売が開始される。
* 1988年12月 - ミラノ駐在員事務所が開設される。
* 1989年2月 - 興銀ファイナンス () 式会社が設立される。
* 1989年6月 - マドリード駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1989年6月 - 融先物商品取引の業務を開始する。
* 1989年9月 - インドネシア興銀 が設立される。
* 1990年1月 - ナッソー支店が開店する。
* 1990年4月 - 英国3i社 と合弁で 興銀インベストメント () 式会社を設立する。
* 1990年6月 - [[黒澤洋]]が第6代頭取に就任する。
* 1990年7月 - オーストリアの[[オーストリア銀行|クレディタンシュタルト銀行]]と合弁で、IBJ-CA コンサルトを設立する。
* 1990年9月 - ブリッジフォード・グループ を設立する。
* 1990年9月 - パリ興銀が設立される。
* 1991年3月 - スペイン興銀が設立される。
* 1991年4月 - ミラノ駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1991年6月 - アトランタ駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1991年8月 - サンフランシスコ駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1991年8月 - 上海駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1991年10月 - 興銀不動産調査サービス () 式会社を設立する。
* 1991年11月 - 「興業債券(2年)」の発行を開始する。
* 1991年11月 - 神田支店が開店する。
* 1992年3月 - クルンタイ興銀リース の営業を開始する。
* 1992年11月 - 大連駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1993年5月 - 新総合オンラインシステム の稼働を開始する。
* 1993年5月 - 千葉支店が開店する。
* 1993年5月 - バンコク駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1993年7月 - 興銀証券 () 式会社が設立される。
* 1993年10月 - 興業債券の募集・売出要領等を変更する。
* 1993年12月 - ラブアン支店が開店する。
* 1993年12月* ラブアン支店 の出張所として、クアラルンプール出張所が開設され、営業を開始する。
* 1994年5月 - スウィングサービスの開始
* 1994年7月 - 日本興業投信 () 式会社が設立される。
* 1994年10月 - チューリッヒ支店が開店する。
* 1994年11月 - 長信銀・商工中金・都銀 とのCDオンライン提携を実施する。
* 1994年11月 - ハノイ駐在員事務所が開設される。
* 1995年4月 - チョンブリ支店が開店する。
* 1995年4月 - アユタヤ支店が開店する。
* 1995年5月 - 首都圏の5店舗を、日比谷支店 神田支店の2つの支店に統合する。
* 1995年6月 - 興銀ビジネス・エージェンシー () 式会社が設立される。
* 1995年8月 - A.G.ランストン IBJシュローダー銀行 より分離し、日本興業銀行 の100%子会社になる。
* 1995年10月 - 興銀信託銀行 () 式会社が設立される。
* 1995年12月 - 武漢駐在員事務所が開設される。
* 1996年3月 - 北京駐在員事務所が支店に昇格し、営業を開始する。
* 1996年4月 - ヒューストン駐在員事務所 が、新たに ニューヨーク支店ヒュー ストン出張所 として開設される。
* 1996年6月 - [[西村正雄]]が第7代頭取に就任する。
* 1996年6月 - 興銀オフィスサービス () 式会社が設立される。
* 1996年11月 - 株主割当による中間発行増資が実施され、新資本金は 4651億 527万9846円 となった。
* 1996年12月 - 池袋支店が債券専業店舗化される。
* 1997年1月 - フランクフルト駐在員事務所が廃止され、駐在員事務所が支店に昇格することなく、新たに フランクフルト支店 が開設される。
* 1997年1月 - バンコク支店がフルバンキング業務を開始する。
* 1997年3月 - 上海支店が人民元業務取り扱いを開始する。
* 1997年3月 - 上海支店の出張所として、浦西出張所 が開設される。
* [[2000年]] - [[富士銀行]]・[[第一勧業銀行]] の2行と共に[[金融持株会社]]となる[[みずほホールディングス]]・みずほフィナンシャルグループを設立する。
* [[2002年]]4月1日 - グループにおいて、コンシューマーバンキング部門は'''[[みずほ統合準備銀行]]'''に吸収分割・承継した上で'''第一勧業銀行に吸収合併'''させ第一勧業銀行は'''[[みずほ銀行]]へ商号変更を行う'''が、日本興業銀行本体については、富士銀行に吸収合併させ解散となり、富士銀行は[[みずほコーポレート銀行]](2002年 - 2013年)へ商号変更を行った。ただし、みずほコーポレート銀行は、本店所在地・業務内容・勘定系システム等外見上は 2002年当時の日本興業銀行 とほとんどが同じであるため、事実上は日本興業銀行から個人向け業務と[[金融債]]業務を みずほ銀行に移し、富士銀行・第一勧業銀行のホールセール部門を移管したのが、みずほコーポレート銀行であった。
* [[2013年]]7月1日 - みずほコーポレート銀行が みずほ銀行を吸収合併し、みずほコーポレート銀行は みずほ銀行に商号変更した。
 
== 世の中の認識 ==
[[ファイル:Industrial Bank of Japan Head Office in 1950s.JPG|thumb|left|250px|1950年代の日本興業銀行本店]]
後述する金融債を発売する際、一般大衆への知名度の低さがネックとなった。戦後の1952年頃より、興銀では[[キューピー]]人形をキャラクターに採用。以降、債券窓口やショーウインドーにキューピー人形を設置し、グッズの配布や債権総合口座の「普通預金ご利用控え」(事実上の普通預金通帳)の表紙にキューピー人形の顔をあしらうなど周知徹底させ、「興銀はキューピーの銀行」のイメージ作りを行った。なお、大口顧客や個人投資家向けの相談窓口の名称は「キューピーファミリー相談室」で、債券総合口座の残高案内に添付されていた機関紙の題号は「きゅーぴーだより」であった。キューピーを用いた広告はみずほフィナンシャルグループ入り後の2002年1月頃まで『[[あるじゃん]]』などで出稿されていた。
 
1950年代から1960年代にかけて、[[川又克二]]、[[日高輝]]、[[水島廣雄]]ら興銀出身者が次々と問題企業の再建に成功し、興銀は当時の人気テレビドラマになぞらえて'''財界の<ruby><rb>益荒男派出夫</rb><rp>(</rp><rt>ますらおはしゅつふ</rt><rp>)</rp></ruby>会'''の異名をとった。