「尾花高夫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
M510 1122 (会話 | 投稿記録)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
74行目:
2年目には伸び悩んでいた[[高崎健太郎]]を年間通して先発ローテーションに入れ、我慢強く起用し続けた。また、育成から支配下登録された[[国吉佑樹]]を起用したりした。
任期の2年間で[[村田修一]]を4番スタメンから外すことは1度もなかった。
 
野村克也の自著「俺の苦言を聞け!」の中で、横浜の監督に就任した尾花は、野村の影響でデータを駆使した細かい野球を標榜したと述べ、その野球知識と判断には狂いはなかったと誌している。一方で、言っていることは正しいが口が悪く、人を傷つけてしまう傾向があると、横浜監督としてうまくいかなかった理由をそのように述べ、「言葉」が監督の仕事のすべてと言ってもいい。そこでつまづくと選手らからの信頼を得ることが難しくなると説いている。
また野村自身も、横浜の監督就任を要請されているという噂が耳に入っていたが、球団社長が野村が嫌いであることを理由に依頼が来ることはなく、その結果、尾花が就任したとこの著書の中で明かしている。
 
== エピソード ==