「酒井忠利」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
26行目:
 
== 生涯 ==
[[酒井正親]]の三男。[[徳川家康]]の再従弟遠縁にあたる。兄[[酒井重忠|重忠]]と共に家康に仕え、[[小牧・長久手の戦い]]では大いに戦功を立てた。[[天正]]18年([[1590年]])に家康が関東に移封されると、[[武蔵国]][[川越市|川越]]に3,000石の所領を与えられた。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では、[[徳川秀忠]]軍に属して[[信濃国]][[上田城]]に立て籠もる西軍方の[[真田昌幸]]を攻めたが、成す術も無く大敗を喫した。
 
戦後、家康より7000石を加増され、合計1万石の大名として[[駿河国|駿河]][[田中藩]]に移された。慶長14年([[1609年]])、さらに1万石を加増され、合計2万石の大名として[[川越藩|川越]]に戻された。慶長19年([[1614年]])からの[[大坂の陣]]では[[江戸城]]の留守居役を務めた。その後もしばしば加増され、最終的には3万7000石を領する大名となった。