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| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 = 第12回'''最優秀助演男優賞受賞(1989'''<br />『[[異人たちとの夏]]』([[1988年]])<br />『[[妖女の時代]]』([[1988]]
| その他の賞 = 第62回[[キネマ旬報|キネマ旬報賞]]'''助演男優賞'''<br />第43回[[毎日映画コンクール]]'''助演男優賞'''<br />第31回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]'''助演男優賞'''<br />第13回[[報知映画賞]]'''助演男優賞'''<br />第10回[[ヨコハマ映画祭]]'''助演男優賞'''
| その他の賞 =
| 備考 =
}}
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=== 生い立ち ===
実家の荻野家は[[埼玉県]][[所沢市]]の農家であり<ref name="ierireki">{{Cite journal |和書 |title=家の履歴書(461) |journal=[[週刊文春]] |issue=2004年3月4日号 p.|publisher=[[文藝春秋]] |pages=70-73「家の履歴書(461)」}}</ref>、父方の祖父は[[神田 (千代田区)|神田]]で[[青果店]]を営んでいた<ref name="nhkg20150313" />。鶴太郎の父は長男だったため、彼の母は彼の弟だけを引き取り所沢の[[家制度|本家]]に置いて行かれた。戦後、職を求めて[[成増]]の金属加工場に就職して鶴太郎の母と出会う<ref name="ierireki" />。母方の祖父は[[羽子板]]職人だったが、[[太平洋戦争]]の[[空襲]]で家と職業道具全てを失ってこれを機に廃業し<ref name="ierireki" />、戦後は[[お好み焼き]]を売る屋台を営んでいた<ref name="nhkg20150313" />。父親は祖父の死後、祖父の実家がある所沢で育ち<ref name="nhkg20150313" />。戦後は東京[[成増]]の金属加工工場で働いた<ref name="nhkg20150313" />。結婚後は西日暮里の妻の家族の近所で暮らし始め<ref name="ierireki" />、1954年に鶴太郎が生まれた<ref name="nhkg20150313" />。
 
鶴太郎は父親に連れられて、寄席や演芸場へ通っていた<ref name="nhkg20150313" />。物心づいた頃から芸人を志し<ref name="nhkg20150313" />、10歳の時、動物の物真似でフジテレビの素人参加番組『[[しろうと寄席 (フジテレビ)|しろうと寄席]]』にテレビ出演。その時の[[アシスタントディレクター|AD]]が後に『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の[[プロデューサー]]となる[[横澤彪]]だった。早くから芸人を志し、高校進学に際しては中学3年時の初めには成績が下から2、3番だったが、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入り、[[東京都立竹台高等学校]]に入学。演劇部に所属し、3年次には部長を務めた。
 
=== デビュー ===
[[高等学校|高校]][[卒業]]後、[[俳優]]を目指し、[[清川虹子]]の自宅へ何のあてもないままいきなり訪問し弟子入りを志願したが清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らない」と断られ、最後には[[警察]]を呼ぶと言われ断念。粘れば弟子入りを許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまった鶴太郎は、生活の為しばらく土木作業員などの仕事を経験した後、[[1973年]]に[[声帯模写]]の[[片岡鶴八]]に弟子入りし、声帯模写で[[東宝名人会]]や[[浅草松竹演芸場]]などの舞台に出演するようになる<ref name="週刊現代" >{{Cite journal |和書 |journal=[[週刊現代]] |issue=2010年10月9日号p86 |publisher=[[講談社]] |pages=86-88}}</ref><ref name="city.arakawa" >[{{Cite interview |subject=片岡鶴太郎 |interviewer=江坂裕子 |title=俳優、画家 片岡鶴太郎 |url=http://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/interview/0410/index.html |program=荒川ゆうネットアーカイブ, > 特集 > [[荒川区の著名人「俳優、画家]] 片岡鶴太郎]|accessdate=2018-02-02}}</ref>。
 
師匠である片岡鶴八は、「声帯は人によって違うから、君に僕の芸はそのまま教えられない」と、芸を教えてくれなかったが、そば屋に連れて行ってもらってそばの食べ方の手ほどきを受けたり、「芸人として売れるまで、そば屋では[[盛りそば]]しか食べてはいけない」など芸人としての「粋」を教えてもらったという。鶴八は、盛りそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、これは「君も早く売れる芸人になりなさい」という師匠なりの激励であった。鶴太郎は師匠の懐の深さを知り、「いつかは師匠と一緒に天丼を食べたい!」と決意するが、売れ出した頃に師匠は亡くなってしまい、その願いは叶うことがなかった。
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そんな売れていない頃、電話帳で見つけた女性宅へ[[郷ひろみ]]の物まねでいたずら電話をし、「もしもし。僕、ひろみ。」と女性へ本物の郷ひろみと思わせた頃、「ガハハ!騙された!」とファンを逆なでするようないたずらをよくやっていたという。
 
[[1976年]]頃に大阪で[[隼ジュン]](後の隼ブラザーズ)の元で修行、岡鶴太郎(デビュー当初は「片」がない)の芸名でトランポリンの地方興行を行う。このままで終わってしまうことに不安を感じ2年ほどで一座を脱退。知人の紹介で[[松山市|松山]]の[[道後温泉]]で劇団に所属して司会やものまねの仕事に就き修行を重ねる<ref name="週刊現代" /><ref name="city.arakawa" /><ref>[{{Cite web |url=http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/interview/03/index3.html |title=八代六郎役 片岡鶴太郎 インタビュー 3 | work=スペシャルドラマ 坂の上の雲 |publisher=[[日本放送協会]] |deadlinkdate=2018-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101117025035/http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/interview/03/index3.html |archivedate=2010-11-17 |accessdate=2018-02-02}}</ref>。温泉旅館での宿泊客の老人には持ち芸である[[小森和子|小森のおばちゃま]]の真似はウケなかったが、鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘と半年後に上京、結婚した<ref>以上、ゲスト出演した[[文化放送]]『[[くにまるワイド ごぜんさま〜]]』でのインタビューによる</ref>{{出典無効|date=2018年2月|title=検証できません。}}。夫人との間には3人の子供をもうけたが<ref>[[誰だって波瀾爆笑]]より</ref>{{出典無効|date=2018年2月|title=検証できません。}}、テレビ番組では30歳の頃から別居状態であると明かしており<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[週刊女性]] |issue=2017年9月5日号 |publisher=[[主婦と生活社]] |pages={{要ページ番号|date=2018年2月}}}}</ref>、[[2017年]]に離婚している<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent{{Cite news |title=鶴太郎、離婚していた…38年連れ添うも別居経て今年3月円満に  |newspaper=[[スポーツチアネクス(2017年8月18日記事)ポン|Sponichi Annex]] |date=2017-08-18 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/08/18/kiji/20170817s00041000330000c.html |accessdate=2018-02-02}}</ref>。一部週刊誌は離婚の原因を若い頃からの浮気癖としているが<ref>[{{Cite web |author=佐々木博之 |date=2017-08-19 |url=http://www.jprime.jp/articles/-/10402 |title=片岡鶴太郎、離婚発表も30年別居中のある意味ストイックな不倫疑惑] |work=週刊女性PRIME. |publisher=主婦と生活社 (文/佐々木博之) |accessdate=2017/8/19 (2017年8月-08-22日閲覧)}}</ref>、本人はヨガに熱中してストイックな生活に没頭したため妻とのすれ違いが生じたと真相を語っている<ref>[http://www.sanspo.com/geino/{{Cite news/20170818/div17081805050001-n1.html |title=片岡鶴太郎、離婚していた!22キロ減のストイック生活ですれ違い] |newspaper=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] (産経新聞社)2017.8.|date=2017-08-18 05|url=http:05//www.sanspo.com/geino/news/20170818/div17081805050001-n1.html (|accessdate=2017年8月-08-22日閲覧)}}</ref>。
 
=== 全国区の人気 ===
24歳で実質的なテレビデビューとなるフジテレビ系『[[お笑い大集合]]』に出演、ここで後に、[[漫才ブーム]]の仕掛け人の一人となった横澤彪と再会。片岡鶴太郎の芸名で[[テレビ]]に進出するが漫才ブームには乗れず<ref name="週刊現代" />。その後[[お笑いタレント]]として『[[オレたちひょうきん族]]』で披露した[[近藤真彦]]の[[物真似|ものまね]]により一躍脚光を浴び、九官鳥の「キューちゃん」や[[浦辺粂子]]、[[たこ八郎]]等の真似で人気を博した。
 
当時は小太りの体型で、熱い[[おでん]]を無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す<ref>おでんはネタとして行ったものではなく、1984年3月17日に放送されたひょうきん族のコント(鶴太郎は浦辺粂子役)で夕食のシーンに出てきたおでんがあまりにも熱く、氷水を飲んで流し込もうとしたが喉につっかえて噴きだしてしまった。その様があまりにも面白かったため後々お約束定番のネタとなった。</ref> など、被虐的な[[キャラクター]]だった。そのため、鶴太郎こそがいわゆる「[[リアクション芸人]]」の元祖だとの声もある<ref>[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[メントレG]]』(2007年11月11日放送、片岡鶴太郎、ダチョウ倶楽部、[[柳原可奈子]]がゲストの回)より</ref>{{出典無効|date=2018年2月|title=検証できません。}}(上述の芸は、現在事務所の後輩である[[ダチョウ倶楽部]]の持ちネタとして有名である)。
 
今でこそその芸風は{{読み仮名|払拭|ふっしょく}}され全く見られないが、『[[オールナイトフジ]]』では[[オマル|おまる]]の中に[[かりんとう]]を入れて示すなどの下ネタを披露したり、同番組内の“鶴太郎劇団”という寸劇コーナーでは頻繁に女装して、男装した共演の女子大生と絡みのシーンを演じる、劇の最後のオチで全裸を女子大生に見せ付けるといった下品なキャラクターであった。「アブラギッシュな男No1No.1」という不名誉な称号を得たのもこの頃である([[井手らっきょ]]は、鶴太郎の芸風に影響を受け全裸ネタを使うようになったと語っている)。
 
また、オールナイトフジで[[萩原健一]]と「[[愚か者|愚か者よ]]」を歌った際には、萩原にズボンを脱がされてパンツとワイシャツだけの姿になってしまった。
 
お茶の間に定着して以降、物真似ではとりわけ老けキャラの開拓を得意とし([[小森和子|小森のおばちゃま]]・[[浦辺粂子]]・[[坂上二郎]]など多数)、後年にも、[[宮路年雄|宮路社長]](城南電機社長)や[[横山昭二]]([[麻原彰晃]]の最初の[[弁護人#私選弁護人|横山私選弁護]]ら、話題の人物を好んで演じてみせた。
 
持ち前の器用さからバラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年には鶴太郎の造語「[[プッツン]]」(たとえとして脳の血管や堪忍袋の緒、あるいは緊張の糸が切れて突飛な行動を取ること。またはその人物)が[[新語・流行語大賞]]の流行語部門・大衆賞に選ばれた。
 
=== 多方面での活動 ===
『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』に出演の際には、[[タモリ]]と「'''キューちゃん'''」のマネを必ず行う。『[[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]]』に登場した[[九官鳥]]がモデルとなっている。
 
[[1980年代]]に女性タレントとの浮気が報道された際、[[ビートたけし]]が「鶴太郎の野郎、この前カミさんが[[マンション]]に来てしょーがないから義理でやってたら隣の住人に『うるさいなー!毎日毎日!』と言われちゃった」と語り、当時の鶴太郎の人気のほどをうかがわせた。
 
元々もともと歌が上手く([[東京荒川少年少女合唱隊]]の第一期生でもあった)、歌唱力の高さを活かして[[1980年代]]半ば頃まではコンスタントにシングルを発売していた。『[[オレたちひょうきん族]]』などで歌わせてもらうもなぜかヒットせず逆にお世辞にも上手とは言えない[[明石家さんま]]が「真赤なウソ」や人気コーナー「[[タケちゃんマン]]」の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「幸せってなんだっけ」をヒットさせたことで、なぜさんまより歌の上手い自分の曲がヒットしないのかとぼやいていたという。鶴太郎は当時『ひょうきん族』の収録日である水曜日に生放送されていた『[[夜のヒットスタジオ]]』にも歌手として2度ほど出演実績を持っている。一方さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない。
 
『[[ザ・ベストテン]]』にもランクイン記録はないが1989年7月27日放送のスポットライトのコーナーに「思いの丈で・・・・」で出演したことがある。
 
[[1988年]]には、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由から[[プロボクサー]]テストを受験。当時[[ボクシング]]のプロテストの受験資格年齢は29歳までであったため、33歳(当時)の鶴太郎には本来受験資格がなかったが、[[日本ボクシングコミッション]](JBC)に懸命に頼み込み、「合格しても試合には出場できない」という条件で特別に受験が叶い合格した。受験にあたって前年から減量を始め、それまでの"小太り"から急激にシャープな体型に変わった。
 
プロテスト後は[[鬼塚勝也]]や[[畑山隆則]]のマネージャーとして、タイトルマッチではセコンドを務めるなど両人の世界王座奪取に大きく貢献。後に、芸能活動において鬼塚や畑山などの元プロボクサーが鶴太郎と同じ太田プロに所属する切っ掛けとなった。[[1988年]]から[[1994年]]に放送された『[[季節はずれの海岸物語]]』では主役の高村圭介を演じると同時に、鬼塚勝也との共演も果たした。1990年にTBS『[[月曜ドラマスペシャル]]』で放送された『昭和のチャンプ〜たこ八郎物語〜』では、かつて『オレたちひょうきん族』で物まねをした[[たこ八郎]]を、彼の前半生でのボクサーとしての視点を主体にシリアスに演じている。
 
[[1988年]]、映画『[[異人たちとの夏]]』の監督・[[大林宣彦]]に[[江戸弁]]を気に入られ主人公の父親役に抜擢されると評判を呼び、多くの映画賞を受賞、活動の軸足を[[俳優]]に移す<ref name="週刊現代" /><ref name="city.arakawa" />。そして[[1991年]]の[[大河ドラマ|NHK大河ドラマ]]『[[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]]』の[[北条高時]]役を演じたことで役者としての決定的評価を得ることになる。後年、大河ドラマでは『[[元禄繚乱]]』(1999年)で[[英一蝶]]役を演じた。『[[軍師官兵衛]]』(2014年)では[[小寺政職]]役を演じたが、『[[仁義なき戦い]]』における[[金子信雄]]のイメージというオファー<ref>{{Cite web |url=http://mantan-web.jp/2013/05/11/20130510dog00m200062000c.html |title=片岡鶴太郎:5度目大河は「金子信雄で」と意気込み |publisher=[[まんたんブロード|MANTANWEB]] |date=2013-05-11 |accessdate=2016-09-04}}</ref>があったことから、芸人色の濃い演技となっている。
 
[[1990年代]]には[[横溝正史]]原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・[[金田一耕助]]役で毎年出演(計9本)し、[[石坂浩二]]や[[古谷一行]]らと並んで金田一役の代表的俳優の一角を占めることになった。以降も『[[家栽の人]]』では植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある桑田判事役を、『[[ララバイ刑事]]』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を演じるなど、コンスタントに活躍を見せている。
 
近年は2時間サスペンスドラマの主役として活躍する機会が多く、特に[[露口茂]]から引き継いだ『[[終着駅シリーズ]]』での牛尾正直刑事役は当たり役の1つ。同シリーズの2007年9月22日放送『〜悪の条件』では1985年にフジテレビ系列で放送された『[[夕やけニャンニャン]]』以来約22年ぶりに[[国生さゆり]]と共演した。『[[八丁堀の七人]]』では久々に[[山田邦子]]と共演し、『オレたちひょうきん族』のコントを{{読み仮名|髣髴|ほうふつ}}とさせるやりとりを見せた。
 
だが以前、お笑い路線から離れ、ドラマ出演などでかっこいい路線へ転向しようとする鶴太郎を、かつてのお笑い仲間[[大平サブロー]]、[[大平シロー]]などに、自分ひとりだけ格好つけようとしていると激しく非難バッシングされトラウマを抱える。
 
飲み友達である[[志村けん]]の著書によると、鶴太郎は酒の席で「自分は物まねも中途半端だし、お笑いではたけしさんやさんまさんにはかなわない。コントには志村さんがいる。だから、俳優に行くしかない」と語ったとされている。後に「ひょうきん族は天才の集まり、芸人として限界を感じた。[[島田紳助]]さん、ビートたけしさん、さんまさん、山田邦子ちゃん。毎週ガチンコで勝負していると自分の力量がわかってくる。たけしさんとさんまさんがトークしている時入っていけなかった。」とも語っていた<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[週刊文春]] |issue=2017年9月14日号P135 |publisher=文藝春秋 |page=135}}</ref>。俳優への転身は自身の評価にもつながっており、{{要出典範囲|映画『[[男はつらいよ]]』の二代目寅さん役最有力候補とされていたこともある([[渥美清]]の死去後すぐ報道された)。|date=2018年2月}}
 
テレビで[[柳原可奈子]]を見た際、彼女の芸を気に入った鶴太郎は既に太田プロダクションにも入っている同僚であることを知らずに「スカウトして来い」と言ったことがある。
 
近年ではお笑い以外の多方面での活動が強調されており、本来の「芸人」としての活動からは遠のいているように見られがちであるが、『[[爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル]]』や『[[爆笑レッドカーペット]]』に審査員として参加したり、時には上述のお約束芸を披露するなどしており、完全に第一線から身を引いたというわけではない。[[2008年]]には『[[FNS27時間テレビ (2008年)|FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]]』にて、かつてのひょうきん族のキャラクターである「マイ爺さん」や「ピヨコ隊」をひさびさに演じた。
 
<!--[[2009年]][[1月3日]]放送の『おとなの学力検定スペシャル 小学校教科書クイズ』でモーニング娘。の[[道重さゆみ]]を大絶賛しており、収録日の翌日の2008年[[12月16日]]の片岡鶴太郎日記において道重さゆみを紹介している。(片岡鶴太郎本人について言及したものではないのでコメントアウトします) -->
 
2000年、あるドラマに父親役で出演した際、息子役の当時無名だった[[小栗旬]]とのケンカのシーンで、小栗が本気でのしかかり鶴太郎は腰骨が外れるというケガを負った。多忙だった鶴太郎はこのことをすっかり忘れていたが、10年後の2010年、小栗が鶴太郎の楽屋にあいさつに来てこのことを言うと鶴太郎は非常に驚いたという。<ref>{{Cite news | url = http://japan.techinsight.jp/2010/04/turutarou-ogurisyun.html | title = 【エンタがビタミン♪】 10年前、片岡鶴太郎の腰の骨をはずした子役は、なんとあのイケメン俳優だった。 | publisher = [[Techinsight]] | date = 2010-04-09 | accessdate = 2016-05-24 }}</ref>。
 
2012年から、[[瞑想]]への関心をきっかけとして、毎朝起きると4時間[[ヨガ]]を実践し、5年目の2017年にはインド政府公認「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」の全4段階中の難関のレベル1に合格した<ref>{{Cite web |url=http://www.oricon.co.jp/news/2092312/full/ |title=片岡鶴太郎、インド政府公認のヨガ検定合格&親善大使就任 体重も43キロに「Sサイズもブカブカ」 |publisher=ORICON NEWS |date= |accessdate=2017-07-07}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20170702/Myjitsu_025288.html |title=体重65キロが43キロ!片岡鶴太郎がヨガに目覚めた動機 |publisher=エキサイトニュース |date= |accessdate=2017-07-07}}</ref>。これを業界の20年後輩である[[有吉弘行]]がラジオで「枯れ枝のようなジジイ」「即身仏」「退院したてのお爺ちゃん」「流木」と{{読み仮名|嘲笑|ちょうしょう}}したことが話題になった<ref>ただし、これは「即身仏」を除きリスナーからのメールに書かれていた文言であり、有吉自身の発言ではない。</ref>。
 
== 芸術家として ==
[[ファイル:Kataoka art museum kusatsu.JPG|thumb|草津町にある片岡鶴太郎美術館]]
[[タモリ]]に影響を受け、挿絵を描くことを始める。コメディアンとしての仕事から距離を置くにつれ、1989年にドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若き頃の[[棟方志功]]を演じたことをきっかけに、[[水墨画]]を描くことや陶芸など美術方面へ傾倒していく。[[岡本太郎]]と[[バラエティ番組]][[鶴太郎のテレもんじゃ]]で共演したことから知り合い、岡本によってその才能を評価され自信を持ったとされる。
 
[[群馬県]][[吾妻郡]][[草津町]]、[[福島県]][[福島市]]に美術館、[[石川県]][[加賀市]]、[[佐賀県]][[伊万里市]]に工藝館がある。
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2007年には、絵画の視点で[[書道]]にも挑戦し、第24回[[産経国際書展]]に応募。作品「骨」が話題を呼び、総数7575点の中から[[産業経済新聞社|産経新聞社]]賞を受賞した。
 
また、女優でアイドルグループ「[[キャンディーズ]]」の元メンバーだった[[田中好子]]に[[水墨画]]など絵画を教えており、田中にとって鶴太郎は絵画の師匠的な存在だった<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/04/25/kiji/K20110425000696940.html |title=師匠 鶴太郎「どんな気持ちでこの絵をお描きになっていたかと思うと…」 |publishernewspaper=[[スポーツニッポン]]Sponichi Annex |date=2011-04-25 |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/04/25/kiji/K20110425000696940.html |accessdate=2016-05-24}}</ref>。
 
[[2015年]]3月、書家として第10回[[手島右卿]]賞を受賞した(作品「夜」)<ref>{{Cite news |title=片岡鶴太郎、書道の手島右卿賞「勢いと独特のクオリティー」 |newspaper=[[スポニチ Sponichi Annex]] |date=2015-03-01 |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/03/01/kiji/K20150301009895470.html |accessdate=2016-09-04}}</ref>。
 
== 松村邦洋との出会い ==
190行目:
* [[近藤真彦]](「マッチでーす」ものまねの元祖。現在でも、女子高生から言われて困ったらしい)
* [[坂上二郎]](「飛びます、飛びます」ものまねの元祖)
* [[塩沢とき]](頭にでかい大きなかつらを被る)
* [[獅子てんや・瀬戸わんや|瀬戸わんや]](このものまねがエスカレートして、「ピヨコ隊」が誕生)
* [[千昌夫]]
205行目:
* [[連続テレビ小説]]
** [[チョッちゃん]](1987年上半期)
** [[春よ、来い (テレビドラマ)|春よ、来い]](1994下半期 - 1995年上半期)
** [[梅ちゃん先生]](2012年上半期) - 安岡幸吉
** [[とと姉ちゃん]](2016年上半期) - 隈井栄太郎<ref>{{Cite web|date=2015-11-06 |url=http://www.oricon.co.jp/news/2061891/full/|title=『とと姉ちゃん』ヒロイン父に西島秀俊 追加キャスト15人発表|authorwork=ORICON STYLE |publisher=[[オリコン]] |accessdate=2015-11-06}}</ref>
* [[大河ドラマ]]
** [[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]](1991年) - [[北条高時]]
** [[毛利元就 (NHK大河ドラマ)|毛利元就]](1997年) - [[井上元兼]]
** [[元禄繚乱]](1999年) - [[英一蝶]]
** [[篤姫 (NHK大河ドラマ)|篤姫]](2008年) - [[岩倉具視]]
** [[軍師官兵衛]](2014年) - [[小寺政職]]
* [[時生#テレビドラマ|トキオ 父への伝言]](2004年8月 - 9月) - 坪内謙介
* [[オトコマエ!]](2008年4月 - 土曜時代劇) - [[鳥居耀蔵]]
* [[オトコマエ!|オトコマエ!2]](2009年) - 鳥居耀蔵
* [[坂の上の雲 (テレビドラマ)|坂の上の雲]](2009年11月29日 - ) - [[八代六郎]]
* NHK千葉放送局開局70周年記念ドラマ「[[菜の花ラインに乗りかえて]]」(2013年10月、[[NHK BSプレミアム]])
* [[嫌な女]](2016年) - 近藤高昭
*[[インディゴの恋人]](2016年) - 江村由貴彦
*[[4号警備]](2017年) ‐ 池山幸雄
 
==== 日本テレビ系 ====
* [[Wパパにオマケの子?!]](1987年10月 - 1988年3月)
* [[奇兵隊 (テレビドラマ)|奇兵隊]](1989年) - [[大村益次郎|村田蔵六]]
* [[ニュースなあいつ]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作、1992年7月 - 9月)
* [[おれはO型・牡羊座]](1994年)
* [[聖龍伝説]](1996年10月 - 12月) - 聖大老師 / 幻龍三鬼神・老鬼
* [[有閑倶楽部#連続ドラマ|有閑倶楽部]](2007年10月 - 12月) - 剣菱万作
* [[はなちゃんのみそ汁#テレビドラマ|はなちゃんのみそ汁]](2014年8月30日) - 松永和則
 
==== TBS系 ====
237行目:
* [[男女7人秋物語]](1987年10月 - 12月)
* [[たこ八郎#ドラマ|昭和のチャンプ・たこ八郎物語]](1990年3月)
* バレンタインに何かが起きる「第2話パターンB(花のOL編)「義理チョコに御用心」)(1991年2月11日) - 光彦
* [[結婚したい男たち]](1991年7月 - 9月)
* [[家栽の人]](1993年)
* 金のたまご(1997年)
* [[影の車#2001年版|松本清張特別企画・影の車]](2001年) - 下坂警部
* [[浅草ふくまる旅館]](2007年)  -  野島慎吉
* [[LADY〜最後の犯罪プロファイル〜]](2011年) - 三宅隆史
* [[ヤメゴク〜ヤクザやめて頂きます〜]](2015年) - 片丘支店長(友情出演)
* [[毒島ゆり子のせきらら日記]](2016年4月 - ) - 黒田伝助<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2067823/full/|title=前田敦子、主演ドラマで超恋愛体質の政治記者役 二股&不倫描く|publisher=ORICON STYLE|date=2016-03-03|accessdate=2016-03-03}}</ref>
* [[温泉殺人事件シリーズ]]「有馬温泉殺人事件」(2016年) - 志垣良雄
 
==== フジテレビ系 ====
* [[月曜ドラマランド]]
** [[いじわるクッキー#長谷川町子の意地悪クッキー|長谷川町子の意地悪クッキー]](1983年)
* [[季節はずれの海岸物語]](1988年 - 1994年) - 主演・高村圭介 ※主演
** [[季節はずれの海岸物語 (第1作)|季節はずれの海岸物語]](1988年)
** [[季節のなかの海岸物語]](1988年)
274行目:
** 「逆転」
** 「夢のつづき」(1995年) - 武田治
* [[片岡鶴太郎の金田一耕助シリーズ|金田一耕助シリーズ]] - 主演・[[金田一耕助]] ※主演
** [[獄門島]](1990年)
** [[悪霊島]](1991年)
284行目:
** [[女怪]](1997年)
** [[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]](1998年)
* [[実録犯罪史シリーズ]] 昭和の説教強盗(1991年) - 主演・[[妻木松吉]] ※主演
* [[上を向いて歩こう!]](1994年4月 - 6月)
* [[花王名人劇場]] 鬼が来た・棟方志功([[関西テレビ放送|関西テレビ]]制作) - [[棟方志功]]
* [[サザエさん (観月ありさ)|サザエさん]](2009年) - 磯野波平
** サザエさん2(2010年)
** サザエさん3(2011年) - 波平の兄の磯野海平役の2役。
** サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP(2013年)
* [[鈴子の恋]]([[東海テレビ放送|東海テレビ]]制作、2012年) - 日向英次郎
* [[リッチマン、プアウーマン]](2012年) - 第5話ゲスト・青山誠人
* 堂場瞬一サスペンス [[捜査一課・澤村慶司|逸脱〜捜査一課・澤村慶司〜]](2013年、[[金曜プレステージ]]) - 鬼塚修平
* [[海の上の診療所]](2013年) - 第1話ゲスト・安達道則
* [[「黄金のバンタム」を破った男〜ファイティング原田物語〜]](2014年) - [[笹崎たけし]]
* [[極悪がんぼ#テレビドラマ|極悪がんぼ]](2014年) - 第9話ゲスト・天枝史郎
 
==== テレビ朝日系 ====
* [[ザ・刑事]](1990年4月 - 9月) - 田中秀行刑事
* [[ララバイ刑事]] - 浅倉守刑事
* [[豊田商事事件#豊田商事事件を主要な題材とした作品|金の夢は血に濡れて]](1992年)
* [[青春の影 (テレビドラマ)|青春の影]](1994年7月 - 9月)
* [[うちの母ですが…]](1995年)
* 影武者・織田信長(1996年) - [[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]
* 大江戸弁護人 走る!(1996年)
* [[終着駅シリーズ]](1996年 - ) - 牛尾正直刑事
* [[影武者徳川家康]](1998年)
* [[八丁堀の七人]](2000年 - 2006年) - 仏田八兵衛 役、※番組の題字も手がける。
* [[忠臣蔵 (2004年のテレビドラマ)|忠臣蔵]] - [[多門重共|多門伝八郎]]
* [[白虎隊 (2007年のテレビドラマ)|白虎隊]](2007年1月6、7日) - [[板垣退助]]
* [[徳川家康と三人の女]](2008年3月15日) - 豊臣秀吉
* [[Answer〜警視庁検証捜査官]](2012年) - 小暮茂雄
* [[みをつくし料理帖#テレビドラマ|みをつくし料理帖 第2弾]](2014年6月8日) - 清右衛門
* [[仮面ライダードライブ]](2014年10月 - 2015年9月) - 本願寺純 / 仮面ライダー純(声)
* [[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号#テレビスペシャル|手裏剣戦隊ニンニンジャーVS仮面ライダードライブ 春休み合体1時間スペシャル]](2015年3月29日) - 本願寺純
 
==== テレビ東京系 ====
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* なんでも屋大蔵の事件簿(2002年 - 2003年、[[女と愛とミステリー]])
* [[警察署長・たそがれ正治郎]]シリーズ(2005年 - )
* [[水曜ミステリー9|無敵の法律事務所!弁護の鉄人 橘明日香]](2015年、[[水曜ミステリー9]]) - 鎌田幹生
* [[北海道警事件ファイル 警部補 五条聖子]]4(2015年、水曜ミステリー9) - 三上健一
* [[潜入捜査アイドル・刑事ダンス]](2016年、[[土曜ドラマ24]]) - 吉光全
 
=== 映画 ===
* [[コミック雑誌なんかいらない!]](1986年、監督:[[滝田洋二郎]]) - ホスト
* [[19 ナインティーン]](1987年、監督:[[山下賢章]]) - 通行人 ※カメオ出演
* [[異人たちとの夏]](1988年、監督:[[大林宣彦]]) - 原田英吉
* [[妖女の時代]](1988年、監督:[[長崎俊一]]) - 辰野吾郎
*: 1989年第12回[[日本アカデミー賞]]最優秀助演男優賞受賞
* [[妖女座頭市 (1989年時代映画)|座頭市]](1988(1989年、監督:[[長崎俊一勝新太郎]]) - 辰野吾郎 役正義の男
* [[座頭市 (1989年Mr.レディー・夜明け映画)|座頭市シンデレラ]](1989(1990年、監督:[[勝新太郎瀬川昌治]]) - 正義の男 役山崎大介(デボラ)
* [[Mr.レディー・夜明けのシンデレラ免許がない!]](1990(1994年、監督:[[瀬川昌治明石知幸]]) - 山崎大介暴田豪デボラ教習所指導員
* [[免許がない!女ざかり]](1994年、監督:[[明石知幸]]大林宣彦) - 暴田豪(教習所指導員)役大沼晩山
* [[女ざかり写楽 (映画)|写楽]](1994(1995年、監督:大林宣彦[[篠田正浩]]) - 大沼晩山 役[[十返舎一九]]
* [[写楽 (映画)ワニ分署|写楽82分署]](1995年、監督:[[篠田正浩後藤大輔]]) - [[十返舎一九]] 役緒方
* [[ワニ分署|82分署]](1995年、監督:[[後藤大輔]]) - 緒方 役
* でべそ(1996年、監督:[[望月六郎 (映画監督)|望月六郎]]) -
* [[SADA〜戯作・阿部定の生涯]](1998年、監督:大林宣彦) - 喜久本龍蔵
* [[どら平太]](2000年、監督:[[市川崑]]) - 安川半蔵
* [[しあわせ家族計画#映画版|しあわせ家族計画]](2000年、監督:[[阿部勉 (映画監督)|阿部勉]]) - 広瀬道男
* [[千年の恋 ひかる源氏物語]](2001年、監督:[[堀川とんこう]]) - 絵師
* [[IZO (映画)|IZO]](2004年、監督:[[三池崇史]]) - 軍閥の将軍
* [[理由 (小説)|理由]](2004年、監督:大林宣彦) - 石田直澄の父 石田直隆
* [[釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!]](2006年、監督:[[朝原雄三]]) - 佐伯聖一
* [[ラストラブ]](2007年、監督:[[藤田明二]]) - 朝倉大吾
* [[引き出しの中のラブレター]](2009年、監督:[[三城真一]]) - 浦部敦彦
* [[この空の花 長岡花火物語]](2012年、監督:大林宣彦) - 野瀬真
* [[仮面ライダー×仮面ライダー ドライブ&鎧武 MOVIE大戦フルスロットル]](2014年、監督:[[柴崎貴行]]) - 本願寺純
* [[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号]](2015年、監督:柴崎貴行) - 本願寺純
* [[イニシエーション・ラブ#映画|イニシエーション・ラブ]](2015年、監督:[[堤幸彦]]) - 石丸広輝
* [[劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー]](2015年、監督:柴崎貴行) - 本願寺純
* [[仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス]](2015年、監督:[[金田治]]) - 本願寺純<ref>{{Cite web |url=http://eiga.com/movie/81793/ |title=仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス |publisher=[[映画.com]] |date= |accessdate=2016-09-04}}</ref>
* [[生活 (漫画)#映画|ヒーローマニア-生活-]](2016年、監督:[[豊島圭介]]) - 日下孝蔵
* [[花筐/HANAGATAMI]] (2017年12月16日公開、監督:[[大林宣彦]]) - 文士
 
=== バラエティ ===
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* [[爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル]](審査員として出演、[[堺正章]]・[[南こうせつ]]不在時は審査委員長)
* [[脳内エステ IQサプリ]](ゲスト出演・2006年3月25日放送分)
* [[ペケ×ポン|タカトシ×くりぃむのペケ×ポン]](ゲスト出演・2007年7月10日放送分)
* [[SMAP×SMAP]](関西テレビ・フジテレビ制作、コーナーレギュラー)
* [[爆笑レッドカーペット]]
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* 風人の画布([[群馬テレビ]]、2009年まで)群馬県広報番組
* 鶴太郎のぐんま一番(群馬テレビ)群馬県広報番組
* 鶴ツル([[あいテレビ]])<ref>[{{Cite web |url=http://www.itv6.jp/tsuru/ |title=鶴ツル |publisher=あいテレビ)]、 |accessdate=2016年5月4日閲覧-05-04}}</ref>
 
=== ドキュメンタリー ===
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*『絵心あれば墨心 対談画文集』[[金田石城]]共著 成星出版 1998
*『[[般若心経]]を書く 筆に魂をこめて』[[板橋興宗]]対話 毎日新聞社 2007
 
== 受賞歴 ==
* [[1988年]] - 第43回[[毎日映画コンクール]] スポニチグランプリ新人賞 『[[異人たちとの夏]]』
* 1988年 - 第62回[[キネマ旬報]]ベスト・テン 助演男優賞 『異人たちとの夏』
* 1988年 - 第31回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]] 助演男優賞 『異人たちとの夏』
* 1988年 - 第13回[[報知映画賞]] 助演男優賞 『異人たちとの夏』
* 1988年 - 第10回[[ヨコハマ映画祭]] 助演男優賞 『異人たちとの夏』
*: [[1989年]] - [[第12回[[日本アカデミー賞]] 最優秀助演男優賞受賞 『異人たちとの夏』『[[妖女の時代]]』
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==