「古代ローマ」の版間の差分
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|位置画像 =Roman Republic Empire map.gif
|位置画像説明 =ローマの領域の変遷
|公用語 =[[ラテン
|首都 =[[ローマ]]([[紀元前753年]]-[[
|元首等肩書 =[[皇帝]]
|元首等年代始1 =[[紀元前27年]]
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|変遷3 =[[ローマ帝国|帝政]]
|変遷年月日3 =[[紀元前27年]]
|変遷4 =
|変遷年月日4 =[[
|変遷5 =
|変遷年月日5 =[[
|変遷6 =
|変遷年月日6 =[[
|変遷7 =[[
|変遷年月日7 =[[
|変遷8 =[[東ローマ帝国]]滅亡
|変遷年月日8 =[[1453年]]
|通貨 =[[デナリウス]]ほか
|時間帯 =
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{{ローマの政治体制}}
'''古代ローマ'''(こだいローマ、{{lang-la-short|Roma antiqua}})は、[[イタリア半島]]中部に位置した多部族からなる[[都市国家]]から始まり、[[領土]]を拡大して[[地中海世界]]の全域を支配する[[世界帝国]]までになった国家の総称である。当時の正式な国号は'''[[元老院 (ローマ)|元老院]]ならびにローマ市民'''(Senatus Populusque Romanus)であり、[[共和政]]成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。伝統的には[[476年]]の[[ロムルス・アウグストゥルス]]の退位をもって古代ローマの終焉とするのが一般的であるが、[[ユスティニアヌス1世]]によって[[イタリア本土 (古代ローマ)|イタリア本土]]が再構成される[[554年]]までを古代ローマに含める場合もある。[[ローマ]]市は、[[帝国]]の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度に様々な形で残り、今日まで影響を与えている。
== 時代区分 ==
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