「乃木希典」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
443行目:
 
==== その他 ====
幾つかの文献で元帥と表記されているが、乃木が元帥だった事実は無い。その功績により、元帥の称号を賜る話は当然にして在ったが、多くの兵士を死なせてしまったことや、先の軍旗喪失の失態に対する反省などもあり、乃木本人が固辞したためである。
 
当該録音に先立つ明治42年([[1909年]])10月15日には、同じ偕行社で行われた加藤清正300年祭に関する第1回目の相談会で湯地敬吾が乃木の演説の録音に挑戦したが、この時の録音は復元が試みられたものの、最終的には再生は不可能だった{{Sfn|志甫|2008|p=95-96}}。