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'''亀山天皇'''(かめやまてんのう、[[建長]]元年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]([[1249年]][[7月9日]]) - [[嘉元]]3年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]([[1305年]][[10月4日]]))は、[[鎌倉時代]]の第90代[[天皇]](在位:[[正元 (日本)|正元]]元年[[11月26日 (旧暦)|11月26日]]([[1260年]][[1月9日]]) - [[文永]]11年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]([[1274年]][[3月6日]]))。[[諱]]は'''恒仁'''(つねひと)。
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== 陵・霊廟 ==
遺体は[[火葬|荼毘]]に付され、[[嵯峨野]]にあった浄金剛院や亀山殿法華堂、法皇御願の南禅寺、高野山金剛峯寺にそれぞれ分骨されたが、亀山殿法華堂を以って現陵とされた。法華堂形式の陵である。また、天龍寺に隣接した右京区嵯峨亀ノ尾町の[[亀山公園 (京都市)|亀山公園]]には火葬塚がある。
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