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== 発掘・発見された竹簡とその価値 ==
竹簡に記載された文字資料歴史研究的な価値だけでなくはもちろんのこと、[[書家]]にって古代書体を見るための貴重な料となっている。
*[[汲冢書|汲冢竹書]] - [[西晋]]の[[咸寧 (晋)|咸寧]]5年([[279年]])、また[[太康 (晋)|太康]]2年([[281年]])、魏襄王の墓を[[盗掘]]した際に出土した竹簡。その中に、『[[竹書紀年]]』・『[[穆天子伝]]』等が含まれる。
*[[曾侯乙墓]]楚簡 - [[1978年]]、[[湖北省]][[随州市|随県]]の擂鼓墩1号墓から出土した240枚の竹簡。
*[[曾侯乙墓]]楚簡
*[[信陽楚簡]] - [[1956年]]、[[河南省]][[信陽市]]長台関1号楚墓から出土した148枚の竹簡。
*[[新蔡葛陵楚簡]] - [[1992年]]、河南省[[駐馬店市]]新蔡県]]の坪夜君墓から出土した1571枚の竹簡。
*長沙五里牌楚簡 - [[1951年]]、湖南省[[長沙市]]五里牌406号墓から出土した38枚の楚竹簡。
*[[仰天湖楚簡|仰天湖楚墓竹簡]] - [[1953年]]、湖南省長沙市郊の仰天湖25号墓から出土した42枚の竹簡。
*[[楊家湾楚簡|楊家湾楚墓竹簡]] - [[1954年]]、湖南省長沙市郊の楊家湾6号墓から出土した72枚の竹簡。
*[[夕陽坡楚簡]] - [[1983年]]、湖南省[[常徳市]]の夕陽坡2号墓から出土した2枚の竹簡。
*[[夕陽坡楚簡]]
*[[慈利楚簡]] - [[1987年]]、湖南省[[慈利県]]の石板村36号墓から出土した4371枚の残簡。
*[[慈利楚簡]]
*[[望山楚簡|江陵望山楚簡]] - [[1965年]]、湖北省[[江陵県]]の望山1号墓から出土した433枚の残簡および望山2号墓から出土した66枚の残簡。
*[[望山楚簡|江陵望山楚簡]]
*[[店楚簡]] - [[1973年]]、湖北省[[江陵県]]九店公社藤店1号墓から出土した24枚の残簡。
*[[天星観楚簡]] - [[1978年]]、湖北省江陵県の天星観1号墓から出土した竹簡。
*[[九店楚簡]] - [[1981年]]から[[1989年]]にかけて、湖北省江陵県の九店56号墓、411号墓および621号墓から出土した竹簡。
*[[秦家嘴楚簡]] - [[1986年]]から[[1987年]]にかけて、湖北省江陵県の秦家嘴1号墓、13号墓および99号墓から出土した41枚の竹簡。
*[[銀雀山漢簡]] - [[1972年]]、[[山東省]][[臨沂市|臨沂県]]の銀雀山1号墓から出土した竹簡。総数は約5000枚。その中に、『[[竹簡孫子]]』が含まれる。
*[[睡虎地秦簡|睡虎地秦墓竹簡]] - [[1975年]]、[[湖北省]]雲夢の睡虎地に在る秦墓より、約1000枚の竹簡が出土した。法律関係の竹簡で、墓主の棺中に遺骸と一緒に収められていた。そこから、解明されていなかった秦律の内容が明らかになった。
*[[張家山漢簡|江陵張家山漢墓竹簡]] - [[1983年]]から[[1988年|88年]]にけて、湖北省[[江陵市|江陵県]]の張家山の漢墓群で出土した約700枚の竹簡。そこには、漢の『[[二年律令]]』・『[[奏讞書]]』・『[[算数書]]』等が含まれていた。
*[[包山楚簡]] - [[1986年]]から[[1987年]]けて、湖北省[[荊門市]]十里鋪鎮の包山2号墓で出土した448枚の竹簡。その中の278枚は字がある。
*[[龍崗秦簡]] - [[1989年]]、湖北省雲夢の龍崗6号墓より、秦律を記した竹簡150枚が出土し、睡虎地秦簡の内容を補う役割を果たした。
*[[郭店楚簡]] - [[1993年]]10月、湖北省荊門市四方郷の郭店村の[[郭店一号楚墓|郭店1号墓]]から出土した804枚の楚竹簡。その中の730枚に字がある。
*[[兎子山簡牘]] - [[2013年]]、湖南省[[益陽市]]兎子山の古井戸から出土した簡牘。
*[[三眼橋楚簡]] - [[2014年]]、湖南省[[湘郷市]]の三眼橋1号井から出土した竹簡。
*[[夏家台楚簡]] - [[2015年]]、湖北省荊州市の夏家台106号墓から出土した竹簡。
*[[上海博物館蔵戦国楚竹書]] - [[上海博物館]]の所蔵する戦国時代の楚の竹簡群である。
*[[走馬楼呉簡]] - [[1996年]]、長沙市の走馬楼の古井戸から出土した簡牘。木簡が2000枚、竹簡は10万片以上に及ぶ。