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'''マジェンタの戦い'''({{lang-it-short|La Battaglia di Magenta}})は、[[マジェンタ]]の近郊で、[[第二次イタリア独立戦争]]中の[[1859年]][[6月4日]]に[[サルデーニャ王国]](ピエモンテ)軍・[[フランス第二帝政|フランス]]の連合軍と[[オーストリア帝国]]軍で行われた戦闘である<ref>{{Cite web |url = https://kotobank.jp/word/マジェンタの戦い-1595122 |title = 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-02-11 }}</ref>。 戦闘はサルデーニャ・フランス連合が勝利した。
 
この戦いにちなんで、フランス側の将軍[[パトリス・ド・マクマオン]]がマゼンタ公爵に叙せられた。また、この年に発明された染料に[[マゼンタ]]という名前がつけられ、この年パリ市街に完成した通りがマゼンタ通りと命名された。
 
この戦闘中にフランスのズワーヴ兵が着ていた制服の赤紫色をマゼンタと呼ぶようになったとも言われる。
 
== 脚注 ==
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