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16世紀以降、交易を通じてインド産などの綿が、主に[[イギリス]]にもたらされ、18世紀ごろにはイギリスの羊毛業をおびやかすまでになった。1780年代になると、自動紡績機や[[蒸気機関]]が相次いで実用化され、イギリスは綿輸入国から一気に世界最大の輸出国に転換した。この綿産業の発展を主軸にした産業構造の変革は、[[産業革命]]ともいわれる。
 
1738年、[[バーミンガム]]の[[ルイス・ポール]]と[[ジョン・ワイアット]]が2つの異なる速度で回転するローラーを使った紡績機を発明し、特許を取得した。1764年の[[ジェニー紡績機]]と1769年の[[リチャード・アークライト]]による紡績機の発明により、イギリスでは綿織物の生産効率が劇的に向上した。18世紀後半には[[マンチェスター]]で綿織物工場が多数稼動し、輸出拠点にもなったため、「コットンポリス (cottonpolis)」の異名で呼ばれるようになった。イギリスとアメリカ合衆国の綿織物生産量は、1793年にアメリカ人の[[イーライ・ホイットニー]]が[[綿繰り機]]発明したことでさらに増加した。テクノロジーの進歩と世界市場への影響力が増大したことから、植民地の[[プランテーション]]から原綿を購入し、それを[[ランカシャー]]の工場で[[織物]]に加工し、製品をアフリカや[[イギリス領インド帝国|インド]]や中国(香港および上海経由)といった植民地市場で売りさばくというサイクルを構築した。
 
1840年代になると、インドの木綿繊維の供給量だけでは追いつかなくなり、同時にインドからイギリスまでの運搬に時間とコストがかかることも問題となってきた。そのころアメリカで優れたワタ属の種が生まれたことも手伝って、イギリスはアメリカ合衆国と[[西インド諸島]]のプランテーションから木綿を買い付けるようになっていく。19世紀中ごろまでに綿花生産は[[アメリカ合衆国南部]]の経済基盤となり、"[[:en:King Cotton|King Cotton]]" と呼ばれるようになった。綿花栽培作業は奴隷の主要な仕事となった。
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