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===西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成===
[[Image:Notre-Dame-night.jpg|thumb|275px|right|[[パリ]]の[[ノートルダム大聖堂 (パリ)|ノートルダム大聖堂]]。西ヨーロッパによく見られる[[ゴシック建築]]である。]]
[[ゲルマン民族の大移動|ゲルマン人の大移動]]によって[[西ローマ帝国|西方正帝]]が力を失うと、[[西ヨーロッパ]]をゲルマン系諸民族が席捲した。その際、[[ローマ人]]などの[[ラテン系]]民族や[[ガリア人]]([[ブリトン人]]も含む)らケルト系諸民族からなる原住民との文化的融合が行われ、ゲルマン人は[[キリスト教]]を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国([[征服王朝]])が形成され、それらは[[フランク王国]]に収斂されて行った。欧州の様々な民族から形成された[[フランク人|フランク民族]]の王[[カール大帝]]はキリスト教とローマ世界の庇護者として[[ローマ教皇]]により[[フランク・ローマ皇帝|ローマ皇帝]]に戴冠され、[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])を重要な共通概念とする世界が構築された。特にキリスト信仰は文明のバックボーンとなり[[マジャル人]]など東方系の民族もカトリックを受容した。これに続き、[[ヴァイキング]]後に成立した[[北欧諸国]]のカトリック化によってほぼ現在の西ヨーロッパにおけるヨーロッパ世界が完成したと言える。