「天正遣欧少年使節」の版間の差分

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*第一はローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること。
*第二は日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということであった。
*研究者の[[伊川健二]]は、ヴァリニャーノを正使とした使節団がインドのゴアを中心に、日本からヨーロッパへの橋渡しをしたことを主張している。また彼らは、ヨーロッパへ渡りはじめて帰国した日本人とされる。渡欧し、現地に残ったものは、1555年のベルナルドなどが確認されている。
== 使節団の構成 ==
使節の少年たちは[[有馬晴信]]が[[日野江城]]下に建てた[[セミナリヨ]]で学ぶ生徒の中から選ばれた。使節4名の正確な生年月日は不明だが、派遣当時の年齢は13~14歳であった。中浦ジュリアンが最年長、原マルティノが最年少と言われる。
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=== 音楽 ===
*『[[戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜#MUSIC TONIGHT|戦国鍋TV]]』「GO!天正遣欧少年使節」(作詞:[[安部裕之]]・作曲:[[奥村愛子]])
* オペラ《忘れられた少年-天正遣欧少年使節-》no.103 [[柴田南雄]]は、少年使節を題材にしたオペラ作曲家の中で最も長老の作曲家。<ref>[http://opera.tosei-showa-music.ac.jp/search/Record/PROD-02735 外部リンク]</ref>
 
== 脚注 ==