「ルツェルン」の版間の差分

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そのため、ルツェルンは近接するウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの原初三邦に接近し、1332年に同盟を成立させた。この1332年という年は、都市の住民と農村の住民が手を携えたという点で、スイスの歴史においても大きな意味を持つ。
 
ルツェルン周辺地域の支配強化を試みたハプスブル家に対し、ルツェルンと原初三邦は1386年のゼンパッハの戦いでハプスブル家の軍隊を打ち破った。以後ハプスブル家はスイス内の領地を次々に失い、ルツェルンはスイス建国の歴史に大きな役割を果たした町としてその名を刻むことになる。1408年に完成したムゼック市壁は、スイスで最も大きく、保存状態の良い市壁である。
 
[[2007年]][[6月17日]]、隣接自治体の{{仮リンク|リタウ|en|Littau}}で住民投票が行われ、[[2010年]][[1月1日]]にルツェルンへ[[吸収合併]]することが合意された。吸収合併によりルツェルンは人口約79,000人(当時)となり、スイスで7番目の都市となった。
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* カペル橋:14世紀にロイス川に作られた屋根付き木造の橋。城砦の一部として建造された。八角形のヴァッサートゥルムとともにルツェルンのシンボルになっている。橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史やルツェルンの守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられている。1993年8月の火災により、橋の大部分が焼失したが、1994年4月に再建された。カペル橋に繋げられた八角形のヴァッサートゥルムはカペル橋より早い時期の1300年頃に建てられたもの。もともと見張り台として建てられたが、その後、文書や宝物の保管庫、牢獄、拷問部屋などに利用された。
* ライオン記念碑:1792年、フランス革命時にパリの[[テュイルリー宮殿]]でブルボン王家を守り、勇敢な死を遂げた[[スイス傭兵]]を偲んで作られた記念碑。ルツェルン市内、ホーフ教会近くの砂岩の岩壁を削って作られた。
* シュプロイヤー橋:カペル橋同様、市壁の一部としてロイス川にかかる屋根付きの橋で、建造は1408年。17世紀のカスパール・メグリンガーの制作による「死の舞踏」の板絵が飾られている。
* ホーフ教会:スイス有数のルネッサンス様式の教会でルツェルン市民の信仰の場となっている。元々8世紀にベネディクト派の修道院として建てられた。火事で焼失の後、1645年に再建された。