「教育ニ関スル勅語」の版間の差分

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教育勅語の相手は「臣民」である。儒教では「臣」と「民」では権利も義務も異なる二重道徳であるが教育勅語は「臣民」の普遍道徳を説いている。儒教は五倫といい五つの根本規範(Grundnorm)を説く。この根本規範の第一規範(最重要規範)は「孝」(父子の親)であり「忠」(君臣の儀。帝への義務)は第二規範にすぎない。教育勅語は、第一規範と第二規範の順位を逆転させている。
これらから明白なことは、教育勅語は新規範の創造であり儒教の規範とは根本的に異なる。新規範の創造という点ではキリスト教的であり、明治天皇は[[ニケア信条]](キリストは神であるという信条)における[[イエス・キリスト]]の役割を演じた。
 
教育勅語では、「克く忠に克く孝に」と、皇祖皇宗の遺訓として、すでに確固たる教義(ドグマ)になっていることが明示されている。ゆえに、「朕に忠義を尽くせ」は必要ない。
教育勅語の教えとして決定的に重要なことは、普遍市場成立のための必要条件であるところの普遍規範(誰にも同じ一元的規範)を確立したことである。儒教では臣の規範と民の規範とは、天地もただならぬ違いがあった。つまり、二重規範(二元的規範)である。これでは、普遍規範は成立せず、前期的資本は、資本になれない。
教育勅語は、資本主義への道をひらいたという意味で、絶大な価値がある。
 
== 脚注 ==