「エアバスA300」の版間の差分

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その後、日本エアシステムは、輸送力の強化と国際線へも就航できる機材としてA300-600Rの導入を決め、1991年4月に最初の機体を受領した{{sfn|『JAL JET STORY』|pp=71–72}}。この時のA300-600Rは第1世代の後継というより機材増強の側面が強く、第1世代は主に国内線、A300-600はアジア地域への国際線の強化に振り向けられた{{sfn|『JAL JET STORY』|p=72}}。日本エアシステムは東亜国内航空時代からA300の定時出発率99.5パーセント以上を維持し、エアバスから最優秀運航者として2度表彰された{{sfn|『JAL JET STORY』|p=160}}。
 
[[ファイル:JA8566-JAL-A300-600R.JPG|thumb|日本エアシステムは日本航空と統合し、引き継がれたA300-600Rは日本航空の新塗装に塗り替えられた。]]
日本エアシステムが[[日本航空]]と経営統合した後もA300は引き継がれたが、第1世代機は2002年から引退が始まり、2006年3月31日に運航を終了した{{sfn|粂|2007|p=31}}。第1世代は予め引退が計画されていたため統合後もレインボーカラー塗装で運用された{{sfn|粂|2007|p=31}}。一方のA300-600Rは新しい日本航空の塗装に塗り替えられ国内線で運航された{{sfn|粂|2007|p=31}}。2008年の[[リーマン・ショック]]をきっかけに日本航空は経営難に陥り、再建策の一環として機種整理を行いA300-600Rも引退することとなった<ref>{{Citation |和書 |last=戸崎 |first=肇 |title=再上場JAL、破綻から再生に至る道のり |date=2012-09-19 |url=http://www.nippon.com/ja/currents/d00051/ |accessdate=2015-10-21}}</ref>。当初の引退予定は2011年3月だったが、その月の11日に発生した[[東日本大震災]]を受けて被災した東北への輸送力増強に充てられたことで引退は一旦延期され、5月31日の青森発羽田行きの便をもって運航を終えた<ref>{{Cite news |title=なじみの翼、20年間ありがとう 退役2カ月延期、震災復興支援に活躍 /青森県 |date=2011-06-02 |newspaper=朝日新聞 朝刊 |page=27}}</ref><ref>{{Cite news |title=羽田と地方空港を結ぶ路線を中心に約20年間活躍した(窓)|date=2011-06-01 |newspaper=日本経済新聞 朝刊 |page=39}}</ref>。