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金日成以来、国内の権力闘争により北朝鮮の政権中枢の役割を占めた[[満州派 (朝鮮労働党)|満州派]]([[抗日パルチザン|国外パルチザン]]派)が[[朝鮮人民軍]]を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、[[金日成]]死亡の少し前から朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。朝鮮労働党大会は[[1980年]]の第6回大会以降、金正日の死後の2016年まで実施されなかった。
 
金正日は[[1990年]]5月24日、第9期最高人民会議第1回会議において国防委員会第一副委員長に選出され、軍事を掌握し始めた<ref>玉城素「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1990/102/1990102TPC.pdf 厳しい「孤立化・経済困難」脱出作戦 - 1990年の朝鮮民主主義人民共和国]」『アジア動向年報1991年』アジア経済研究所、1991年、p59。</ref>。さらに翌[[1991年]][[12月24日]]の第6期党中央委員会第19回総会において朝鮮人民軍最高司令官に「推戴」され<ref>小牧輝夫・中川雅彦「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1991/102/1991102TPC.pdf 対外政策転換で突破口を模索 - 1991年の朝鮮民主主義人民共和国]」『アジア動向年報1992年』アジア経済研究所、1992年、p49。</ref>、[[1992年]]4月20日には朝鮮民主主義人民共和国元帥の称号を授与された。[[1972年]]に制定された[[朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]](1972年憲法)では、軍の統帥権は[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家主席]]にあり、朝鮮人民軍最高司令官と[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会#国防委員長|国防委員長]]は国家主席が兼務することが定められており、金正日の最高司令官就任は「超憲法的な措置」<ref>和田春樹『北朝鮮-遊撃隊国家の現在』岩波書店、1998年、p261。</ref>であった。しかし1992年4月9日に同憲法が改正されると、最高司令官の規定は削除されるとともに、軍の統帥権は国家主席から[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会#国防委員長|国防委員長]]に委譲された。そして、[[1993年]][[4月9日]]の第9期最高人民会議第5回会議において国防委員会委員長に「推戴」され<ref>中川雅彦「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1993/102/1993102TPC.pdf 目標未達成で終了した第3次7カ年計画 - 1993年の朝鮮民主主義人民共和国]」『アジア動向年報1994年』アジア経済研究所、1994年、p40-41。</ref>、これにより金正日は軍の統帥権を掌握した。同時期、[[ソ連崩壊]]により[[北朝鮮クーデター陰謀事件]]が露呈してを知った金正日は多くのソ連留学経験者を旧[[KGB]]の[[スパイ]]として粛清した<ref>李友情著「金正日入門第7章金正日を支える面々232-240ページ</ref>。
 
=== 最高指導者として ===
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