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加筆推敲 / ※個人書き込み文調の改行乱発を事典風に改訂。※神道影響下の幽霊の記述皆無という状況を指摘がてらほんの少しだけ改善。 / etc.
typo / ※問題ある節名[最近の用語]を[心霊主義の用語]に改めたが,“間口”の広い[心霊主義における日本の幽霊]に再改名
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==== 定型化した"死装束の幽霊"、"足のない幽霊" ====
[[ファイル:SekienYurei.jpg|thumb|180px|[[鳥山石燕]]『[[画図百鬼夜行]]』「幽霊」/安永5年([[1776年]])の作。]]
「乱れ髪に天冠(三角頭巾)、死装束の足がない女性」という、[[芝居]]や[[お化け屋敷]]などでもおなじみの定型化した姿は(いわば「日本型幽霊」)は、[[演劇]]や[[文芸]]の影響が大きいと言われている<ref name="Sekai_pedia" />。[[河出書房]]から出版された『渡る世間は「間違い」だらけ』(1995([[1995]]〈平成7年〉刊)によると、[[歌舞伎]]の舞台「[[四谷怪談]]」の演出で幽霊の足を隠して登場したものが起源であるとしている。江戸時代に[[浮世絵]]の題材として描かれてから定着したものであるともいう。『[[番町皿屋敷]]』の影響があるともいう<ref name="Sekai_pedia" />。[[京都|京]]の[[天才]][[絵師]]・[[円山応挙]](1733-1795年)の[[幽霊画]]の影響もあったとされる。応挙の幽霊画は当時から有名であったらしく、多くの画家絵師に影響を与えたといわれている。ただし、「足の無い幽霊を最初にいたのは円山応挙である」とする説については[[俗説]]あるいは不正確な説との指摘があり、る。実際には、応挙が生まれる60年前の[[延宝]]元年([[1673年]])に同じ京都で刊行された[[井上播磨掾]](1632?-85年?。京都の人で、[[大坂]]で活躍した[[古浄瑠璃]][[太夫]])の浄瑠璃本『花山院后諍<sup>(かざんのいん きさきあらそひ)</sup>』(別名:花山院きさきあらそひ)に、足の無い幽霊の[[挿絵]]が掲載されており、この時代の、少なくとも京都にはすでに、「幽霊には足が無いもの」という概念があったようである。なお、係る日本の定型化した幽霊と対比する形で、「海外の幽霊は足があるものが多い」と解説されることがある。
 
幽霊の中でも「[[牡丹灯篭]]」のお露のように、[[下駄]]の音を響かせて現れる者もいるが、これは[[明治]]時代になって[[中国]]の怪異譚を参考に[[創作]]されたものである。近年{{いつ|date=2018年2月}}も死者の霊が登場する[[都市伝説]]が多く語られているが、外見上生きている人間と区別がつかない幽霊も多く、「[[死に装束]]を着た足の無い幽霊」が「出現」することはほとんど無い。
 
=== 心霊主義における日本用語幽霊 ===
20世紀および21世紀の日本の[[心霊主義]]者(スピリチュアリスト)の中には、性質別に「[[守護霊]]」「[[背後霊]]」「[[自然霊]]」「[[動物霊]]」「[[浮遊霊]]」「[[地縛霊]]」などといった用語で説明する人がいて、幽霊を、特定の場所に現れる"地縛霊"と、そうでない浮遊霊に分けて説明することがある<ref>
『人はなぜ生まれいかに生きるのか』、ハート出版 2001年10月25日、 ISBN 978-4892954979<br/>
『あの世の話』(佐藤愛子との共著、青春出版社1998年11月、[文春文庫] 文藝春秋2001年12月10日)ISBN 978-4167450052<br/>