「ヌエバ・カンシオン」の版間の差分

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前述のとおり、1970年代までに活躍した音楽家たちは、それぞれの国の民族音楽を基礎にして社会的な主張を歌詞に込めたり、斬新なメロディーや和音を取り入れる傾向が強かった。そのため、ヌエバ・カンシオンは実質的にはラテンアメリカ各国の民族音楽である[[フォルクローレ]]の一部として取り扱われている。また、この運動が大きく盛り上がったチリでは、隣国[[ボリビア]]のアンデス音楽(日本で、狭い意味でフォルクローレと言ったときに指す音楽)の音楽性や楽器を大幅に取り込んでいる。
 
一方で、軍政下に国内で台頭した音楽家たちは、国内において大衆的人気を勝ち取るために、ロックなど商業音楽として人気のある音楽から出発した例が多い。その典型的な例は、ロック歌手として出発して、[[マルビナス戦争]]後に反戦歌「ただ神に祈ること (Solo le pido a dios)」を大ヒットさせたアルゼンチンの[[レオン・ヒエコ]]であろう。ただし、これは民族音楽の要素をどの程度色濃く盛り込むかという程度の差であって、民族音楽の要素がまったく排除されているというわけではない。また、軍政が終わって20年前後を経過して、両者の相互交流や融合が進んでおり、両者の差はそう大きなものではなくなった。
 
== ヌエバ・カンシオンに関連するグループ・歌手・演奏家 ==