「アマチュア無線技士」の版間の差分

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==歴史==
===変遷===
;前史
日本における無線に関する最初の法律は1900年(明治33年)に施行された[[電信法]]である<ref>明治33年逓信省令第77号(1900年10月10日)</ref>。無線電信は政府が管掌し、一切の私設は禁じられた。個人研究家によるアマチュア無線はもちろん、企業の無線実験施設さえも認められなかった。この種の施設が認められたのは[[無線電信法]]以降である。
*1915年(大正4年)11月1日に[[無線電信法]]、私設無線電信通信従事者資格検定規則、私設無線電信規則が施行された。いわゆるアマチュア無線に相当する無線電信法第二条第五号の無線施設の操作には第三級の資格<ref>受験科目は和文50字/分と欧文60字/分の送受信および私設無線電信に関する法令</ref>が必要とされた<ref>私設無線電信通信従事者資格検定規則 第一條<br>「第三級 無線電信法第二條第五号に依り施設したる私設無線電信の通信および同條各号に依り施設したる私設無線電信の通信の補助に従事し得る者」</ref>。しかし同時にそれを免除する規定<ref>私設無線電信規則 第十五條<br>「私設無線電信の通信従事者は私設無線電信通信従事者資格検定規則に依り相当資格を有するものなることを要す 但し無線電信法第二条第五号に依り施設したる私設無線電信の通信従事者にして特に逓信大臣の認可を得たる場合は此の限に在らず」</ref>も設けられたため、現実的には免除を受けるための能力確認試験だけで済まされた。
====無線電信法時代====
**いわゆるアマチュア局を開設したい場合は地方逓信局で能力試験<ref>岡本次雄(JA1CA)によれば、電気通信術は国家試験での廃止時までの1アマ程度。 学科の無線工学は記述式の頃の2アマ程度だったという。 学歴や職歴によっては無試験の場合もあった。日本アマチュア無線連盟 「アマチュア無線のあゆみ」 CQ出版社 1976年</ref>に合格するとこの第三級の取得が免除された。能力試験は一度合格すれば、再開局(含む継続)や他の地方[[逓信局]]管轄区域へ移動の際は試験が省略された<ref>丹羽一夫編 「CQ誌でつづるアマチュア無線外史」 [[CQ出版社]] 1982年 (関連文書の写真あり)</ref>。
1915年(大正4年)11月1日に[[無線電信法]]、私設無線電信通信従事者資格検定規則、私設無線電信規則が施行された。無線電信法は企業や個人が無線実験を行う施設を第2条第5号<ref>「五、 無線電信又は無線電話に関する実験に専用する目的を以って施設するもの」</ref>で定め、逓信大臣の許可により運用できることになった。
**この免除規定は1950年(昭和25年)の廃止時に至るまで変わらなかった。
*1922年(大正11年) いわゆる個人免許のアマチュア局が「法二条第五号の私設無線電話施設」<ref>[[実験試験局]]、[[実用化試験局]]とアマチュア局をあわせたものに相当する。無線局、実験局等の用語は定義されておらず「私設無線電信無線電話実験局」というのは戦後に広まった通称である。</ref>として許可された。
*1940年(昭和15年) 12月以降は、私設無線電信電話実験施設の運用に[[無線通信士]]第二級又は[[無線技術士#無線電信法|電気通信技術者]]第三級(無線)以上の資格を要求された。しかしこの措置に関する正規の規則改正が行われる前の1941年(昭和16年)12月8日に、[[太平洋戦争]]が勃発し実験用私設無線電信電話施設の運用は禁止されたため、規則改正はないまま終戦を迎えた。
**戦後の再開時に施設の従事許可は無効とされた。
 
*1915年(大正4年)11月1日そして同時[[無線電信法]]、施行された私設無線電信通信従事者資格検定規則私設無線電信規則が施行された。いわゆるアマチュア無線に相当する無線電信法2条第5号の無線実験施設操作するには、'''私設無線電信通信従事者3'''の資格<ref>第三級試験の受験科目は和文50字/分と欧文60字/分の送受信および私設無線電信に関する法令の二つだった。</ref>が必要とされた<ref>私設無線電信通信従事者資格検定規則 第一條<br>「第三級 無線電信法第二條第五号に依り施設したる私設無線電信の通信および同條各号に依り施設したる私設無線電信の通信の補助に従事し得る者」</ref>。しかし同時にそれを免除する規定<ref>私設無線電信規則 第十五條<br>「私設無線電信の通信従事者は私設無線電信通信従事者資格検定規則に依り相当資格を有するものなることを要す 但し無線電信法第二条第五号に依り施設したる私設無線電信の通信従事者にして特に逓信大臣の認可を得たる場合は此の限に在らず」</ref>も設けられたため、現実的には免除を受けるための能力確認試験だけで済まされた
 
しかし法第2条第5号の無線実験施設については、モールス技能を身に付けていない無線技術者でも実験できるように、通信従事者資格の取得を免除する規定が施設無線電信規則の中に設けられた<ref>私設無線電信規則 第十五條<br>「私設無線電信の通信従事者は私設無線電信通信従事者資格検定規則に依り相当資格を有するものなることを要す 但し無線電信法第二条第五号に依り施設したる私設無線電信の通信従事者にして特に逓信大臣の認可を得たる場合は此の限に在らず」</ref>。
 
**いわゆるアマチュア1926年(大正15年)、この免除権限が逓信大臣から所轄逓信を開設し長へ委譲されい場合<ref>大正15年逓信省令第17号(1926年5月25日)</ref>ため、現実的に地方所轄逓信局で規則第15条の資格免除を受けるための能力試験<ref>岡本次雄(JA1CA)によれば、電気通信術は国家試験での廃止時までの1アマ程度。 学科の無線工学は記述式の頃の2アマ程度だったという。 学歴や職歴によっては無試験の場合もあった。日本アマチュア無線連盟 「アマチュア無線のあゆみ」 CQ出版社 1976年</ref>を受験し合格するとこの第三級の取得が免除さばよかった。また能力試験は一度合格すれば、再開局(含む継続)や他の地方[[逓信局]]管轄区域へ移動の際は試験が省略された<ref>丹羽一夫編 「CQ誌でつづるアマチュア無線外史」 [[CQ出版社]] 1982年 (関連文書の写真あり)</ref>。
 
1931年(昭和6年)7月1日に施行された無線通信士資格検定規則<ref>昭和6年逓信省令第8号(1931年4月1日)</ref><ref>従前の私設無線電信通信従事者資格検定規則は廃止</ref>では法第2条第5号施設の操作資格が'''[[無線通信士]]第3級'''<ref>受験科目が和文55字/分、欧文80字/分の送受技能、無線電信無線電話実験、無線電信無線電話実験、英語になった</ref>に改められたが、やはり私設無線規則第15条により所轄逓信局長の権限でその取得が免除された。
 
1934年(昭和9年)1月1日に施行された私設無線電信無線電話規則<ref>昭和8年逓信省令第60号(1933年12月29日)</ref><ref>従前の私設無線電信規則は廃止</ref>では、その第3条で「法第2条第5号の実験施設」に対し「'''実験用私設無線電信無線電話'''」という語を与えた。これがいわゆる戦前のアマチュア局の正式名称である<ref>ただし企業や私学校の実験施設も含まれた</ref>。なお「私設無線電信無線電話実験局」という語は終戦後に広まった単なる通称である。従前の私設無線電信規則では第15条にあった第3級資格の取得免除規定は私設無線電信無線電話規則の第36条に移動した。
 
*戦時体制下の1940年(昭和15年) 12)12月以降は、実験用私設無線電信無線電話実験施設の運用に[[無線通信士]]2級又は[[無線技術士#無線電信法|電気通信技術者]]第3級(無線)以上の資格を要求された。しかしこの措置に関する正規の規則改正われる前の1941年(昭和16年)12月8日に、[[太平洋戦争]]が勃発し実験用私設無線電信無線電話施設の運用禁止されたため、規則改正はないまま終戦を迎えている
 
すなわち無線通信士資格検定規則の第1条が実験用私設無線電信無線電話(いわゆるアマチュア局)の操作に無線通信士第3級を定め、また私設無線電信無線電話規則の第36条にあった実験用私設無線電信無線電話(いわゆるアマチュア局)の操作資格の免除に関する規定は、1950年(昭和25年)の廃止時まで存続した。
 
====電波法制定以降====
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