「南極の観光」の版間の差分

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1977年から1979年の間に、オーストラリア及びニュージーランドからの観光飛行があった。南極本土へ飛び、着陸せずにそのまま出発した空港へ帰る、というコースである。1994年にはオーストラリア発のものが再開した。[[ニュージーランド航空]]はinternationalと便名の前に付けていたが、これらのフライトは国内線であり、国際線ではないとみなされている。[[カンタス航空]]のフライトは全て[[チャーター便]]である。ニュージーランド航空にもチャーター便が幾つかあり、その他にも航空会社や代理店でチケットを売る不定期便がある。日本ではパックツアーが売られている<ref>[http://www.tabisuke-aus.com/tabisuke2/item/index.php?action=%2Fdetail&uid=00001384 南極大陸遊覧飛行ツアー]</ref>。フライトは12時間から14時間で、そのうち大陸の上を飛ぶ時間は4時間に及ぶ。
 
カンタス航空は1977年2月13日にフライトを始めた。1979年までに、27便及び7000人以上の観光客を運んだ。ボーイング747Bsが主に使われシドニー・メルボルン・パースのどこいずれかから、二つの"アイスルート"を経由した。片方は[[ジョージ5世ランド]]の海岸にそって[[アデリーランド]]の[[フランス]]の基地へ飛び、[[南磁極]]上空でひき返す。もう片方は[[オーツランド]]と[[ヴィクトリアランド]]の北方の上空を、[[ロス海属領]]にある[[ワシントン岬]]へと飛ぶ。1977年、一便がマクマード湾及びエレバス山の方へ飛ぶようになった。いくつかのより短いフライトがメルボルンから出ていて、ボーイング707が使われている<ref>Hickson page 165</ref>オーストラリアからの飛行は1980年に無くなったが、1994年に再開された[http://www.antarcticaflights.com.au/about.html (see Croydon Travel)]。
 
[[ニュージーランド航空]]は1977年2月15日に観光飛行を始めた。1977年に6便、1978年に4便、1979年も4便。最後の一便は1979年11月28日の[[ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故|901便]]で、同機はエレバス山に衝突墜落、以降の観光飛行は中断された<ref> Macfarlane pp 155-156</ref>。
1958年にチリから向かったものなど、もっと早い時期にも風景目的の飛行はあった<ref>Trewby page 187</ref>。