「朝青龍明徳」の版間の差分
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このように確実に上位の力は身につけており幕内昇進後引退するまで取組での通算の[[決まり手]]数は41種を数えた多彩な技と<ref>http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/349180/ 「業師だな」朝青龍ニヤリ、集中力欠く白鵬] iza 2010年1月22日</ref>5月場所の[[安芸乃島勝巳|安芸乃島]]戦から、2009年9月場所まで初顔合わせの相手に34連勝した初顔の相手への強さ<ref>歴代1位。2位は北の湖の24連勝。</ref>などもあり取りこぼす要素が少なく、[[トレーニングジム|ジム]]での[[筋力トレーニング]]を積極的に取り入れる<ref>[[上腕二頭筋]]を用いて[[ダンベル]]を持ち上げるダンベルカールでは、片腕で52.5kgを持ち上げる。2007年1月、サンケイスポーツより。</ref>など独自の調整も功を奏し、2002年1月場所にてモンゴル出身の力士で初の関脇昇進を果たし、その場所で8勝7敗と勝ち越すと二場所連続で11勝4敗の成績を挙げ、大関捕りとなった7月場所は終盤まで優勝を争い12勝3敗の好成績を挙げ、場所後にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進した<ref name="100retsu"/>。入幕から所要10場所での大関昇進であった<ref name="takasagoo29"/>。
新大関の場所となる2002年9月場所には11日目まで9勝1敗と優勝争いの先頭を走り、この場所が長期休場明けであった2敗の貴乃花と結び前で対戦。対戦前にはインタビューした[[刈屋富士雄]]アナウンサーに「(前回の対戦で一方的に負けているだけに)何としても今日はいい相撲で勝ちたい」とコメントしたが、結果的に及ばず、立合いから強烈なのど輪押しで攻め、貴乃花の逆襲を凌ぎ投げで崩して攻め立てるもまわしを取られて前に出てこられ、外掛けで崩しつつ前に出ようとするところを上手投げで土俵正面に投げつけられて敗北した。この日中入り後解説を務めた同じ高砂一門の先輩横綱である[[曙太郎|曙]](第64代横綱)は「二人に拍手を送りたい」と言ったほどの好取組であったが、取組前のインタビューで「自分にとって非常に大事な一番」と位置付けていた朝青龍の悔しがり方は尋常ではなく、花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫ぶ姿がNHKの大相撲放送で放送され
9月場所はこの敗戦が響いて10勝5敗で終わったものの、翌11月場所は上位陣総崩れの中、14勝1敗で念願の幕内初優勝を達成。また2002年は、自身初となる[[年間最多勝]]も獲得した。綱獲りとなった2003年1月場所は、9日目の[[海鵬涼至|海鵬]]戦で敗れた際左足薬指脱臼と脹脛肉離れの怪我を負ったが、その後も負傷を感じさせない力強い相撲で14勝1敗、大関の地位で2場所連続優勝を達成した。1月場所千秋楽翌日の[[横綱審議委員会]]では、一部の委員([[脚本家]]で唯一の女性横審委員だった[[内館牧子]]など)から「成績は申し分ないが、品格の面で問題があり」などの意見が出たものの、結果的には朝青龍の第68代横綱へ昇進が決まった。初土俵から25場所での横綱昇進は年6場所制では最速<ref name="takasagoo29"/>。なお[[横綱土俵入り]]は、高砂一門伝統の[[横綱土俵入り#雲龍型の土俵入り|雲龍型]]を選んだ(土俵入りの指導者は同じ高砂一門で、当時[[東関部屋]]付きの親方だった曙)。朝青龍の土俵入りは砂を噛むかのような足の動きに大きな特徴があり、NHKの大相撲放送でもたびたび足が大写しになった。
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