「フィリピンの戦い (1944年-1945年)」の版間の差分

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1941年の時点で既に独自の憲法と議会、行政府、最高裁を持ち、アメリカ軍の監督下で独自の[[フィリピン軍]]の創設が着手されていた。
 
一方日本から見てフィリピンは日本本土と[[オランダ領インドシナ]]などの南方資源地帯との中間に位置し、アメリカ軍はここを拠点にしてシーレーンの遮断が行えると認識していた。
日本が対米参戦を決意した要因の一つにはアメリカを無視してオランダ領やイギリス領の南方資源地帯を占領してもアメリカ軍がフィリピンを拠点にすれば容易に海上封鎖ができると考えたためであった。
日本軍は[[真珠湾攻撃]]直後の1941年12月22日にルソン島に上陸し、翌年1月2日には首都マニラを占領した。
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フィリピン・コモンウェルスのマニュエル・ケソン大統領はフィリピン陥落寸前に[[ダグラス・マッカーサー]]と共に逃亡し、その後ワシントンにて亡命政府を建てた。
 
=== 日本 ===