「飛行隊 (満洲国軍)」の版間の差分

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1940年(康徳7年)に、[[航空機]][[パイロット (航空)|操縦士]]を養成する「陸軍飛行学校」が開校した。「陸軍」を冠しているが、軍人だけでなく、満州航空の乗組員や飛行家など民間人の操縦要員も教育していた。
 
1941年12月に、満州国も日本と同様に[[イギリス]]や[[アメリカ]]に宣戦布告し[[大東亜戦争]]に突入したが、満州国は宣戦布告せず、その後も主な戦場から遠く離れた満洲国内は平静を保ったものの、。しかし[[1945年]]に入ると、工業地帯や軍の基地などが、[[イギリス領インド帝国]]経由で中華民国内陸部の[[成都]]基地から飛来したアメリカ軍の爆撃機などの攻撃をたびたび受け、これらの爆撃機と満州国飛行隊の[[戦闘機]]との空中戦が行われ、「蘭花特別攻撃隊」という[[特別攻撃隊]]が編成され、アメリカ軍の[[ボーイング]][[B-29_(航空機)|B-29]]に向けて体当たり攻撃を行った。
 
== 編成 ==