「曽根崎心中」の版間の差分

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江戸時代に初演を含め数回で禁止されたが、筋が単純であることもあって長く再演されないままだった。詞章は美しいため、[[荻生徂徠]]が暗誦していたとも言われる([[大田南畝]]「一話一言」)。戦後の[[昭和]]28年([[1953年]])に歌舞伎狂言作者の[[宇野信夫]]が脚色を加え、復活した。人形浄瑠璃では昭和30年([[1955年]])1月に復活公演が行われた。
* '''歌舞伎''':昭和28年(1953年)、東京の[[新橋演舞場]]での上演で再開。[[中村鴈治郎 (2代目)|中村鴈治郎]] ・中村扇雀(現・[[坂田藤十郎 (4代目)|坂田藤十郎]])による。原作にない九平次の悪が露見する場面を入れ扇雀のお初の美しさによりヒット、以後何度も宇野版で上演されるようになった。
* '''人形浄瑠璃''':昭和30年(1955年)1月、[[四ツ橋]]の[[文楽座]]での上演で復活(脚本脚色・作曲:[[野沢松之助|野澤松之輔]])。お初:吉田栄三、徳兵衛:[[吉田玉男 (初代)|吉田玉男]]。原曲が残っていなかったことから、新たにし直した。原文に多少のカットなどを施し、テンポの良い曲とどにより原文からアレンジした。また江戸時代徳兵衛が心中決意を伝えるためお演時代にの足首をとる場面で人形は2人浄瑠璃操作は珍たが、後に3人操作になっていたため「女性の足をけるという演出がほどこされた。曲の素晴らしさ、初演の竹本綱大夫・竹沢弥七の巧みな演奏、吉田栄三と吉田玉男の見事な人形(後に吉田玉男・吉田簑助の代表作ともなる)が絶賛され、現在でも上演の度にヒットを続けている
== 劇映画 ==
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