「ライオネス飛鳥」の版間の差分

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== 人物・来歴 ==
[[蓮田市立黒浜中学校]]を経て、[[埼玉県立蓮田松韻高等学校|埼玉県立蓮田高等学校]]を中退後、[[1980年]]に[[全日本女子プロレス]]に入団、同年5月10日に同期の奥村ひとみ、師玉美代子との巴戦でデビュー。後にリングネームを改めて<ref>「ライオネス」とは[[雌|メス]][[ライオン]]を意味し、当初は「明日華」を名乗る予定だったが語呂が悪いため、飛鳥となった。</ref>、[[長与千種]]との[[クラッシュギャルズ]]で一大ブームを巻き起こす。[[1981年]]には[[全日本ジュニア王座]]、[[1982年]]には[[全日本シングル王座]]を獲得した。[[1984年]]8月にはクラッシュギャルズが[[WWWA世界タッグ王座]]を獲得、さらに同年8月、「'''炎の聖書'''」で歌手デビュー。[[1989年]]春に現役を引退。
 
引退後は[[女子プロレス]]の解説をしながらタレント活動を始め、[[1990年]]には「[[のぞみウィッチィズ]]」で[[映画]]デビュー。また[[日本自動車連盟]](JAF)の国際A級ライセンスを取得し、カーレースにも出場。[[1994年]]11月に行われた全女の[[東京ドーム]]大会にて女子プロレスラーとして現役復帰、[[ジャガー横田]]・[[バイソン木村]]と共に『ライディーン・アレイ』を結成するが、ブランクと甲状腺疾患による体調不良から思うように試合が出来ず、苦しい日々を過ごす。