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[[ナポレオン戦争]]中、チロルは[[プレスブルクの和約]]および[[シェーンブルンの和約]]によって[[フランス第一帝政|フランス帝国]]の同盟国である[[バイエルン王国]]へ割譲された。しかし頑固で誇り高いことで知られるチロル人はこの決定を良しとせず、[[アンドレアス・ホーファー]]を指導者として蜂起し、フランス・バイエルン連合軍を2度にわたって破った。ホーファーは3回目の戦いに敗れて捕縛・処刑されたものの、現在でもチロルのみならずオーストリア全土で英雄として讃えられている。結局バイエルンによる支配は長続きせず、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の没落後、[[ウィーン会議]]によってチロルは[[オーストリア帝国]]へ復帰した。
[[Image:Tirol 1918.png|thumb|[[1918年]]当時のチロル。濃灰色の部分が[[サン=ジェルマン条約]]によって[[イタリア王国]]へ割譲された南チロル]]
[[1918年]]に[[第一次世界大戦]]に敗れた[[オーストリア=ハンガリー帝国]]が解体されると、[[サン=ジェルマン条約]]によって南チロルが[[イタリア王国]]へと割譲され、残りが[[第一共和国 (オーストリア)|第一共和政オーストリア]]の[[連邦州]]となった<ref>その一方、チロル州はドイツ南東部[[バイエルン州]]との統合を試みて[[住民投票]]が行われたが、[[サン=ジェルマン条約]]に基づいて結局は実施されなかった([[増谷英樹]]・[[古田善文]]著『オーストリアの歴史』[[河出書房新社]]2011年刊行)。</ref>。
 
[[1938年]]に[[ナチス・ドイツ]]はオーストリアと合邦した([[アンシュルス]])。北チロルは[[チロル=フォアアールベルク帝国大管区]]に、東チロルは[[ケルンテン帝国大管区]]へ統合された。[[アドルフ・ヒトラー]]は[[ベニート・ムッソリーニ]]への配慮から南チロルのイタリア領有を承認していたが、[[第二次世界大戦]]末期にイタリアが降伏すると南チロルはドイツが併合した。しかし敗戦後、南チロルは再びイタリア領となり、北チロルは[[フランス]]の、東チロルは[[イギリス]]の占領下に置かれた。
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