「ルル (オペラ)」の版間の差分

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シェーンベルクによる補作の断念について
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その後もこつこつと作曲を続けたが、[[1935年]]、[[ヴァルター・グロピウス]]と[[アルマ・マーラー]]の娘マノン・グロピウスが亡くなり、ベルクは『ルル』を中断して、マノンのために『[[ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)|ヴァイオリン協奏曲]]』を作ることにした。曲はすぐに完成したが、その年の末にベルクが[[敗血症]]で急死してしまったため、『ルル』は未完に終わった。残されたものは、第3幕第1場までの268小節と、おおよその楽器編成を指示したその後の抜粋楽譜(short score)だった(詳細は[http://www.nn.iij4u.or.jp/~hsat/concert/y2003/lulu031122.html こちら]を参照)。さらに、第3幕終結部が組曲という形で抜粋・作曲されていた(下記参照)。
 
[[エルヴィン・シュタイン]]が全3幕のピアノ・ヴォーカル・スコアを書き、ベルクの未亡人ヘレーネはオーケストレーションを[[アルノルト・シェーンベルク]]に依頼した。シェーンベルクはいったん承諾したものの、送られてきたベルクのスケッチを見て、いろいろな理由から断った<ref>公式にはほかの仕事で忙しいと言ったが、実際の理由は原稿の中に[[反ユダヤ主義]]的な内容、とくにユダヤ人である銀行家の演じ方について、元のヴェーデキントの台本にはない「[[wikt:de:mauscheln|mauscheln]]」(ユダヤ人を軽蔑して指す語である「[[wikt:de:Mauschel|Mauschel]]」に由来し、「[[イディッシュ語]]で話す」という意味)という指示を見つけたことが原因だったという。Perle (1985) pp.287-288</ref>。ヘレーネは他の作曲家による補筆を拒み、[[1937年]][[6月2日]]に[[チューリッヒ歌劇場]]での『ルル』の初演は、最初の2幕とソプラノと管弦楽のための『オペラ"ルル"からの交響的小品(ルル組曲)』(1934年)の一部で上演された。[[クリストフ・フォン・ドホナーニ]]指揮、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]、ルル役アニャ・シリヤ([[:en:Anja Silja|Anja Silja]])の録音(デッカ/ロンドン、1976年録音、1978年発売)もこの形式に従っている。
<!--アメリカ・ローカルな記事は省略します-->
 
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*ミヒャエル・ボーダー指揮、[[リセウ大劇場]]、パトリシア・プティボン(ルル役)、2010年(ドイツ・グラモフォン)
 
== 脚注 ==
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==参考文献==
*Huscher, Phillip, ''The Santa Fe Opera: An American Pioneer'', Santa Fe: The Santa Fe Opera, 2006. ISBN 0-86534-550-3 ISBN 978-0-86534-550-8
*{{cite book|author=Perle, George|year=1985|title=The Operas of Alban Berg: Lulu|publisher=University of California Press|isbn=0552045025}}
*アッティラ・チャンパイ&ディートマル・ホラント『名作オペラブックス ベルク ルル』日本語訳:[[西原稔]]&[[浅野洋]]([[音楽之友社]])
*『アルバン・ベルク―伝統と革新の嵐を生きた作曲家』、ヴィリー・ライヒ著、武田明倫訳、音楽の友社