「世界遺産」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
修正と加筆
微調整
6行目:
 
== 概要 ==
世界遺産は、「顕著普遍的価値」を有する[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]や[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]などであり、1972年に成立した[[世界遺産条約]]に基づき、世界遺産リストに登録された物件を指す。世界遺産条約は[[国際連合]]成立以前、20世紀初頭から段階的に形成されてきた国際的な文化財保護の流れと、[[国立公園]]制度を最初に確立したアメリカ合衆国などが主導してきた自然保護のための構想が一本化される形で成立したものである。
 
世界遺産は、政府間委員会である[[世界遺産委員会]]の審議を経て決定される。その際、諮問機関として、文化遺産については[[国際記念物遺跡会議]] (ICOMOS) が、自然遺産については[[国際自然保護連合]] (IUCN) がそれぞれ勧告を出し、両方の要素を備えた[[複合遺産 (世界遺産)|複合遺産]]の場合には、双方がそれぞれ勧告する。保存にとって脅威となる状況に置かれている遺産は、[[危機にさらされている世界遺産|危機遺産]]リストに登録され、国際的な協力を仰ぐことになる。それ以外の世界遺産も、登録後にも定期報告を含む保全状況の確認が行われる。適切な保護活動が行われていないなど、世界遺産としての「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合には、[[抹消された世界遺産|世界遺産リストから抹消]]されることもありうる。実際、2007年には[[アラビアオリックスの保護区]]が初めて抹消された物件となった。
170行目:
再建された建造物の歴史的価値は、1980年登録の[[ワルシャワ歴史地区]](ポーランド)で早くも問題になった<ref>{{Harvnb|松浦|2008|pp=148-149}}</ref>。ワルシャワの町並みは[[第二次世界大戦]]で徹底的に破壊され、戦後に壁のひび割れなどまで再現されたといわれるほどの再建事業を経て、忠実に復元されたものだったからである<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016b|p=157}}</ref>。1979年、1980年と続けて議論が紛糾した結果、ワルシャワの登録と引き換えに、第二次大戦後に再建された他のヨーロッパ都市は登録対象としないことが決められた<ref>{{Harvnb|松浦|2008|p=149}}</ref>。「作業指針」にも、歴史地区の再建などは、例外的にしか認められないことが明記されている(第86段落)<ref name = tobunken2017_p21 />。もっとも、2005年登録の[[オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル]](フランス)のように、戦前の面影を一新した[[鉄筋コンクリート]]造りの計画都市が登録された例はある<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016b|p=158}}</ref>。
 
その後、登録物件の偏りなどとの関連で「真正性」の問題がクローズアップされた。堅牢な石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、保存の仕方が異なってくるからである<ref>{{Harvnb|松浦|2008|pp=148, 151, 153}}</ref><ref>{{Harvnb|安江|2011|pp=45-46}}</ref>。そこで、1994年に[[奈良市]]で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された奈良文書<ref group = "注釈" name = NDoA>「真正性に関する奈良文書」{{Harv|東京文化財研究所|2017|p=80}}、「オーセンティシティに関する奈良文書」{{Harv|西村|本中|2017|p=57}}、「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」{{Harv|渡邊|1995|p=9}}などといった訳があり、「奈良文書」「奈良ドキュメント」などとされる。</ref>において、真正性はそれぞれの文化的背景を考慮するものとし<ref>{{Harvnb|東京文化財研究所|2017|p=80}}</ref>、木造建築などでは、建材が新しいものに取り替えられても、伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになった<ref name = MN2010_p22>{{Harvnb|松浦|西村|2010| p=22}}</ref>。この真正性の定義づけには日本も積極的に関わり、世界遺産制度史上における日本の特筆すべき貢献と評価されている<ref name = MN2010_p22 /><ref>{{Harvnb|木曽|2015|p=129}}</ref>。
{{-}}
== 登録範囲 ==
179行目:
 
=== 緩衝地帯 ===
'''緩衝地帯'''は、そのままカタカナで'''バッファー・ゾーン'''と表現されることもある<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016a|pp=37-38}}</ref>。本来保護すべき範囲の外側に緩衝地帯を設定するという考え方は、自然保護に見られた概念を文化遺産にも拡大したものといえる。この範囲設定は、ユネスコの「{{仮リンク|人と生物圏計画|en| Man_and_the_Biosphere_Programme}}」で「核心地域」「緩衝地域」「移行地域」の3区分が存在していたことをモデルに、核心地域と緩衝地域の概念を導入したものである<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016a|p=37}}</ref>。なお、日本の省庁の場合、同じ Buffer zone を世界遺産では「緩衝地帯」、[[生物圏保護区|生物圏保存地域]](ユネスコエコパーク)では「緩衝地域」と訳し分けている<ref>[http://www.mext.go.jp/unesco/005/1341691.htm (参考2)ユネスコエコパーク (BR) の保護担保措置・ゾーニングに関する基本的な考え方]([[文化庁]]、2018年2月1日閲覧)、[http://www.env.go.jp/press/104164.html 参考1・ユネスコエコパークについて]([[環境省]]、2018年2月1日閲覧)<!--細かいアドレスは変更されやすいので、いずれのurlも文書そのものではなく、そのリンクがあるページを掲げた。--></ref><ref group = "注釈">{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2016}}(pp.28, 37) は同様の区分を踏襲しているが、{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016a}}(p.37) では訳し分けずにどちらも「緩衝地帯」で統一している。</ref>。
 
緩衝地帯の役割は、資産の保護のために設定される区域で、法的あるいは慣例的に開発などは規制を受ける<ref>{{Harvnb|西村|本中|2017|pp=59-60}}</ref>。例えばフランスの場合、歴史的記念建造物の周囲には一律(半径500 m)に規制が敷かれるが、世界遺産の場合、保護する範囲に機械的な線引きはなく、また資産全体に同じ範囲だけ設定しなければならないものではない<ref>{{Harvnb|西村|本中|2017|pp=60-62}}</ref>。そもそも緩衝地帯は当初、方針文書に明記されておらず、ごく初期の世界遺産には設定されていなかった<ref>{{Harvnb|松浦|2008|p=145}}</ref>。1980年や1988年の「作業指針」で段階的に盛り込まれていったが<ref>{{Harvnb|吉田|2012b|pp=190-191}}</ref>、厳格な適用を求める方向で「作業指針」が改定されたのは2005年のことで<ref>{{Harvnb|松浦|2008|pp=156-157}}</ref>、設定しない場合には理由の提示が必要となった<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016a|pp=37-38}}</ref>。世界遺産の推薦に当たっては、原則として資産だけでなく緩衝地帯についても、規模や用途などを明記し、地図も提出する必要がある(「作業指針」第104段落)<ref name = tobunken2017_p25>{{Harvnb|東京文化財研究所|2017|pp=25-26}}</ref>。