「チャールズ3世 (イギリス王)」の版間の差分

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=== 王位継承者 ===
[[File:Elizabeth, Philip, Charles and Anne.jpg|thumb|right|家族集合写真(1957年)]]
1952年に祖父のジョージ6世が崩御し、母のエリザベスが[[イギリス君主一覧|イギリス女王]]に即位すると、チャールズは[[推定相続人]]として王位継承順位が1位となる。

それに付随して、「[[コーンウォール公]]」ならびに「[[ロスシー公]]」の称号を得た。さらに1958年には、「[[チェスター伯]]」と「ウェールズ公」の称号を得た。事実上の[[立太子]]にあたる。
 
幼少時から将来の[[国王]]となるべく、フィリップの意向で厳しい教育を受けた。特に父の勧めで[[バークシャー]]のグラマースクールや[[スコットランド]]の[[ゴードンストウン|ゴードンストン校]]で、中産階級の子供たちと学んだことが多かったが、当然のことながらチャールズと同じ階層の生徒が一人もいなかったため、[[いじめ]]やからかいの対象になってしまった。これが原因で、自分の息子たちを上流階級の多い[[イートン・カレッジ]]に入れたと言われている。