「呂祖謙」の版間の差分

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== 略伝 ==
*[[ム州|婺州]][[金華県]](現在の[[浙江省]][[金華市]])の出身。父の呂大器は右朝散郎であった([[陸游]]『渭南文集』巻32「曽文清公墓志銘」)。弟は[[呂祖倹]]。子は{{仮リンク|呂延年|zh|呂延年}}(末子)ら。孫に呂似之、呂守之ら。
*学者の家に生まれ[[林之奇]]・[[汪応辰]]・[[胡憲]]などに学ぶ。1163-64年に[[進士]]となり、同時に博学宏詞科にも合格する。
*太常博士に國史院編修官・実録院検討官となり、領土の回復を[[孝宗 (宋)|孝宗]]に説き聖学について論じ、『[[徽宗]]実録』では政治についても述べている。