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'''二条 広子'''(にじょう ひろこ、[[文政]]2年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]([[1819年]][[12月26日]]) - [[明治]]8年([[1875年]])[[7月9日]])は[[江戸時代]]の[[公家]]で[[有栖川宮幟仁親王]]の[[妃]]。[[二条斉信]]の娘。別名、岸君。院号は順恭院。
 
1819年に二条斉信と正室[[徳川従子]]の五女として生まれる。幼少の頃から斉信の許婚として育てられる。{{要出典範囲|また1815年に誕生したとする文献もある。|date=2010年11月}}
 
1848年に[[有栖川宮幟仁親王]]に嫁ぎ、佐々祐子と幟仁親王との間に生まれた[[有栖川宮熾仁親王]]らを養育する。1875年に死去したといわれているが{{要出典範囲|最近では[[1897年]]に死去したという文献が有力である。|date=2010年11月}}また、熾仁親王が[[有栖川宮]]家当主を継いでからは'''有栖川宮大宮御息所'''と呼ばれた。
 
== 一族 ==