「大須口駅」の版間の差分

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近隣町名(大須、大洲、大州)の変遷に関する脚注、参考文献を記述
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== 歴史 ==
[[ファイル:Hiroshima City Map 1945.jpg|thumb|300px|1945年広島市地図。"Ōsuguchi Station"表記。]]
大須口駅は、当時宇品線の旅客営業を委託されていた芸備鉄道により開業された駅の一つで、開業時期は[[1930年]]12月である。広島駅から1.2kmの位置に立地し、開業時点で前駅の[[#安芸愛宕駅|安芸愛宕駅]]、次駅の[[南段原駅#東段原駅|東段原駅]]とはそれぞれ0.4km、0.2kmの駅間距離があった。駅名は近隣の町名<ref>現在の町名としては「大州」であるが、古い時代には、駅の所在地である西蟹屋近辺から現在の大州地区にかけての地域は「大須新開」と呼ばれ、また「おおず」は音訓の通用により「大須」「大洲」など古地図では様々に表記されている。近隣の町名(現在の南区大州一~五丁目、東駅町)は、昭和8年までは「大須町(おおすまち)」、昭和47年までは「大洲町(おおずまち)」と称した。(外部リンク参照)</ref>にちなむもので開業当初は「大須口停留所」と称され、[[1937年]]7月の芸備鉄道国有化で大須口駅と改称した。
 
[[1945年]][[8月6日]]の[[広島市への原子爆弾投下|原爆被災]]で[[爆心地]]から約2.5kmの距離に位置していた当駅は駅本屋の全焼など大きな被害を受けた<ref>[http://www.hiroshima-shinbun.com/lifebase/life1945080603.html ヒロシマ新聞「鉄道 - 広島駅本屋全焼、山陽線など不通」]</ref>。また翌月9月の[[枕崎台風]]により駅南側の大須口鉄橋の橋脚の一部が流失し一部軌道が若干東に移設されたさいに駅・ホームも移設された。
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== 外部リンク ==
* [http://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=868226&dispType=1 1974年の空中写真 (CCG747-C12B-19)] - 地図・空中写真閲覧サービス([[国土地理院]])。大須口 - 下大河間。信号場廃止後も駅の跡地、および県道164号線との立体交差(ガード橋)が残っているのが分かる。
* [http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110871016786/index.html 廃止町名と現在の町の区域] - 広島市ホームページ。町名における「大須」「大洲」「大須」の地名の変遷が分かる。
 
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