「アニッタ」の版間の差分

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{{基礎情報 君主
'''アニッタ'''('''Anitta''', [[紀元前18世紀]])は、記録上二番目に古い[[ヒッタイト]]人の王。[[ハットゥシャ]]を攻略し初めて「ヒッタイトの大王」を名乗った。
| 人名 = アニッタ
| 各国語表記 =
| 君主号 = [[ヒッタイト]]王
| 画像 = DolchAnitta.jpg
| 画像サイズ = 240px
[[Image:Museum| of画像説明 Anatolian Civilizations045 kopie1.jpg|thumb|250px|= '''アニッタ'''の銘が入った青銅製槍先(キュルテペ出土)]]
| 在位 = [[紀元前17世紀]]
| 戴冠日 =
| 別号 =
| 全名 =
| 出生日 =
| 生地 =
| 死亡日 =
| 没地 =
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 配偶者1 =
| 配偶者2 =
| 子女 =
| 王家 =
| 王朝 =
| 王室歌 =
| 父親 = [[ピトハナ]]
| 母親 =
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''アニッタ'''('''Anitta''', [[紀元前1817世紀]])は、記録上二番目に古い[[ヒッタイト]]人の王。[[ハットゥシャ]]を攻略し初めて「ヒッタイトの大王」を名乗った。
 
== 事績 ==
彼が従えたという「王」は、王とはいえ「村の王」だったかもしれず、彼の「王国」がどの程度の規模だったかは不明である。それは彼が''「1400人の兵士と40両の[[チャリオット|戦車]]を率い」''と誇らしげに記していることから窺える。ヒッタイト人は宗教的理由から([[古代エジプト]]の[[ファラオ]]とは対照的に)記録に誇張をしない傾向があるため、この数字はほぼ正確であると考えられる。アニッタは(後世の目から見れば)割合小規模な軍勢を率いて遠征を続け、のちにヒッタイト帝国の首都となるハットゥシャを攻略して先住民ハッティ人の王[[ピユシュティ]]を降し、この町を焼き払った。''「夜中に都市を攻略し、そこに草一本生えないようにした。我が後の王でここに住むものあれば、天なる天候神の怒りに触れん」''と記している。
 
[[Image:Museum of Anatolian Civilizations045 kopie1.jpg|thumb|250px|'''アニッタ'''の銘が入った青銅製槍先(キュルテペ出土)]]
彼はその遠征に[[鉄]]製の笏(しゃく)と玉座を伴ったという。当時鉄は貴金属であり、[[金]]よりも高価だった。また当時のヒッタイトの拠点[[カネシュ]]市の遺跡である[[キュルテペ]]からは、「アニッタ」の名が入った銘文を刻んだ[[青銅]]製の[[槍]]先(誤って「[[短剣]]」と紹介されることが多い)が出土しており、その実在を裏付ける証拠と考えられている。
 
*[http://www.hittites.info/history.aspx?text=history%2fHattic.htm#Anitta Reign of Anitta](英語)
 
{{先代次代|[[ヒッタイト|ヒッタイトの大王]]|紀元前1817世紀|[[ピトハナ]]<br />「クッシャラの王」|(約2世紀の間記録なし)<br />[[ラバルナ1世]]}}
 
{{DEFAULTSORT:あにつた}}