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== 中世 ==
[[File:Beowulf and the dragon.jpg|thumb|left|180px|ベオウルフとドラゴンの戦い。([[1908年]]、J. R. Skelton)]]
=== 北欧三国の成り立ち ===
{{main|ヴァイキング時代|ヴァイキング}}
スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの三国は民族的に深い関わりを持っており、不可分の関係によって歴史を歩んできた<ref name="tunoda_035">[[#角田1955|角田1955]]、p.35。</ref>。[[400年]]ごろから[[1000年]]ごろまでの期間、この地の歴史については彼ら自身の手による文献史料はほとんど残されておらず、[[ヴァイキング]]に敵意を持つ西欧人の記した記録、伝承記があるのみとなっている<ref name="tunoda_038">[[#角田1955|角田1955]]、p.38。</ref>。彼らの残した史料として代表的なものとしては[[8世紀]]から[[9世紀]]にかけて[[デーン人]]から伝えられた英雄叙事詩をイギリスの修道僧の手でまとめられた『[[ベオウルフ]]』、ヴァイキング時代に創られた歌謡『[[:en:Edda|エッダ]]』、それまで口頭で語り継がれてきた神話や伝記を[[12世紀]]末に纏め上げた『[[サガ]]』、ノルウェーやアイスランドの君主に仕えた宮廷詩人によって詠われた賛歌である『[[スカルド詩|スカルド]]』などがあるが、いずれも作品の性質上歴史を目的として記されたものではないため、事実特定が困難であった<ref name="tunoda_040">[[#角田1955|角田1955]]、p.40。</ref>。このため、[[11世紀]]ごろまでの北欧の歴史はこれらの諸史料と、各地から出土した遺物や周辺地域の歴史書に言及されている状況などから類推・整理して輪郭を得たものであることを前提とする必要がある。
[[ファイル:Vikings-Voyages.png|thumb|365px|スカンディナビア人の航海航路と入植地]]
さて、北欧各地に誕生した原生国家は、800年ごろまでその地の覇権を巡って激しい争いを繰り返し、強国への併合を繰り返しながら国の強化を図っていった<ref name="tunoda_040"/>。この時代はゲルマン諸族が西欧・南欧へ大きく移動し、各地に王国を築いた[[民族移動時代]]とも重複しており、彼らの多くは北欧を原住地としていたため、北欧の地には多くの冨と文化が流入し、大きな文化的発展を遂げた<ref name="tunoda_040"/>。この時代に対する言及としてはローマの歴史家[[タキトゥス]]の『スイオーネス』がある<ref name="tunoda_029">[[#角田1955|角田1955]]、p.29。</ref>。『スイオーネス』にはスウェーデン中部の[[スヴェーア人]]が建国した初期の王国の成り立ちについて記されており、28の部族国家がやがて3つの原生国家へと統合していったとされている。このうちのひとつであった[[メーラル王国]]は[[メーラレン湖|メーラル湖]]を中心として栄えた王国であり、6世紀中ごろには残りの2王国を併合してスヴェーア諸族を統合し、[[シルフィング王朝]]と呼称されるようになった<ref name="tunoda_041">[[#角田1955|角田1955]]、p.41。</ref><ref group="注釈">[[スウェーデンの国章]]であるトゥレー・クローノー(三つの王冠)はこのことに由来している。([[#角田1955|角田1955]]、p.41。)</ref>。シルフィング王朝は650年ごろに後述するデーン王国によって滅ぼされることとなるが、王子ウーロフは[[ヴェルムランド地方]]へ逃れて[[インリング王朝]]として再建させた。その後も領土を拡張していき、南部の[[ゴート王国]]を服属した後、[[860年]]には首都を[[ガムラ・ウプサラ|古ウプサラ]]へ設置し、後の[[スウェーデン|スウェーデン王国]]の祖形が成立した<ref name="tunoda_041"/>。