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{{独自研究|date=2018年2月}}
[[File:Eugene Guillaume - the Gracchi.jpg|thumb|300px|19世紀の彫刻家、ウジェーヌ・ギョームによるグラックス兄弟の像]]
'''グラックス兄弟'''(グラックスきょうだい)は、[[古代ローマ]]の[[センプロニウス氏族]]グラックス家に生まれた兄弟、[[ティベリウス・グラックス|ティベリウス・センプロニウス・グラックス]]と[[ガイウス・グラックス|ガイウス・センプロニウス・グラックス]]の2人を指す。
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=== ガイウスの改革 ===
{{main|ガイウス・グラックス}}
ガイウスは[[紀元前123年]]に護民官に就任した。穀物法を成立させて貧民を救済するが、ラテン同盟市に対する[[ローマ市民権]]公布を巡って元老院と対立し、[[セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム
=== その後 ===
兄弟の死後、彼らの遺志を継いで改革を目指す政治家は後を絶たず、それは[[オプティマテス]]と[[ポプラレス]]の対立に繋がっていく([[内乱の一世紀]])。
その後、[[マリウスの軍制改革|ガイウス・マリウスの軍制改革]]によって、グラックス兄弟が志向した平民救済は違った形ながらもある程度実現された。そして農地改革については、[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]が「ユリウス農地法」を成立させ
== その他 ==
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