「湾岸戦争に反対する文学者声明」の版間の差分

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== 反響==
*[[吉本隆明]]は、広島や長崎に原爆を落とされ、日本は『人類最終戦争』を経験したなんて言い方は[[ボードリヤール]]の口真似で、「最初にいったやつもバカですけど、口真似をするやつはもっとバカ」であり、文学者が『人類最終戦争』なんて決める問題ではないし、決められる問題でもないとして、「日本はすでに[[広島市|広島]]や[[長崎市|長崎]]に[[原爆]]を落とされている、つまり、日本は『人類最終戦争』をやってしまったのだから、戦争には参加すべきではないというものです。僕が気に食わないのは、文士が『人類最終戦争』なんてことを口にして、自分たちが勝手に『これが人類にとっての最終戦争なんだ』なんてことを決めつけられると思い込んでいることです」と批判する<ref>{{Cite book|和書|author=[[吉本隆明]]|year=1999|month=8|title=私の「戦争論」|publisher=ぶんか社|isbn=978-4821106844|page=1241124|ref=吉本1999a}}</ref>。
*[[池田信夫]]は、[[浅田彰]]や[[柄谷行人]]などの「[[知識人]]」が署名したが、「あのとき[[サッダーム・フセイン|フセイン]]を追放しておけば、[[イラク戦争]]は必要なかったのに」と評した<ref>[https://twitter.com/ikedanob/status/64641263739215873 Twitter 2011年5月1日 3:44]</ref>。
*[[坪井秀人]]は、「声明1」と「声明2」での、「私」と「われわれ」という安直な主語の置き換えを問題視する<ref>[[坪井秀人]]『声の祝祭』[[名古屋大学出版会]][[1997年]]、p374</ref><ref>[[高和政]]「湾岸戦争後の文学者」『[[現代思想 (雑誌)|現代思想]]』[[2003年]][[6月]]号</ref>。
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*[[葦原骸吉]]は、政治的には無効・無力であることが分かっていると断った上でのこの声明は、「戦争の報道が毎日されてるのに普通に生きてるのが、なんとなく落ち着かない、何もしないのが後ろめたい気がする」という気分の表明でしかなく、「死んだ中上に責任を押しつけて忘れた(たぶん中上自身は、それが空回りのダサい行為と分かっていたが、だからといって眼前の戦争を無視して黙って穏当ぶるのが嫌だから声明したのではないか、と思う)」と記している<ref>[http://megalodon.jp/2016-0823-0242-57/www.axcx.com/~sato/bq/kako16.html 「作家と状況」の系譜]『[[別冊宝島]] いまどきのブンガク』[[宝島社]]、[[2000年]][[2月]]</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考 ==
* [[高和政]]「[http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-2.html 湾岸戦争後の文学者]」『[[現代思想 (雑誌)|現代思想]]』[[2003年]][[6月]]号
 
== 関連項目 ==
* [[政治運動]]
* [[反戦運動]]
 
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