「ジャガー (自動車)」の版間の差分

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=== 復活 ===
[[File:19881989 Jaguar XJ6Sovereign 2.9XJ40 Saloon (1413210869926437501874).jpg|thumb|220px|right|XJ6(XJ40)]]
[[File:Jaguar XJR9.jpg|thumb|220px|right|XJR-9]]
当時のイギリスで頻発していた労働争議の影響もあり、[[1979年]]にはジャガーの生産台数は5年前の半分以下(14,000台)に落ち込んでいた<ref>『ワールド・カー・ガイド 12 ジャガー』 104頁より。</ref>。この年、ジャガーは新たな経営トップとして社外から{{仮リンク|ジョン・イーガン|en|John Egan (industrialist)}}を招く。
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イーガンは時代遅れは乱れた生産体制や経営の改革に着手し、作業員の意欲向上、ジャガー本体のみならず取引先メーカーから納入されたパーツ類への厳格な品質チェックの実施<ref group="注釈">ジョン・イーガンはジャガーのトップに就く前は[[マッセイ・ファーガソン]]のパーツ担当重役だった</ref>、経営側と社員側が品質向上のため直接話し合うという[[日本]]企業並みの[[品質管理]](QC運動)<ref group="注釈">厳格な階級制度が残る当時のイギリスにおいて、この手法はまさに革新的であった</ref>、販売手法の刷新と顧客からのフィードバック反映、そして経営の[[リストラ]]を推し進めた<ref>『ワールド・カー・ガイド 12 ジャガー』 104頁より。</ref>。この改革はすぐに結果となって表れ、ジャガーの品質は改善し生産台数も急回復した。
 
そしてその後の1984年、[[保守党 (イギリス)|保守党]]の[[マーガレット・サッチャー]]首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化された。抜本的な体質改善に成功したジャガーは、15年以上にわたり[[モデルチェンジ (自動車) #マイナーモデルチェンジ(マイナーチェンジ)|マイナーチェンジ]]を繰り返しつつ作られていたものの、技術的にも面や品質面だけでなく、生産効率にも劣るXJ6の世代交代を図り、1986年には完全な新設計となるXJ(XJ40)をデビューさせる。
 
また、1975年にEタイプの後継として投入されていたXJSも、XJ40のエンジンや電装系、内装デザインを取り入れた大幅なマイナーチェンジ行うことで技術面や信頼性の向上に努めた上に、1980年代後半には[[オープンカー|コンバーチブル]]モデルを追加したことからアメリカ市場を中心に人気車種となった。