「相楽総三」の版間の差分

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江戸を脱出した相楽たちは、慶応4年([[1868年]])1月、[[戊辰戦争]]が勃発すると、近江の[[金剛輪寺]]で赤報隊を結成し、赤報隊一番隊は東海道先鋒総督府の指揮下に入り、[[桑名]]への進軍を指令された<ref name="gakken"/>。
 
しかし相楽は、東山道鎮撫総督府への所属替えを希望し、2月上旬には薩摩藩兵の付属になるよう指示を受けていたが、ここでも相楽は独断で[[東山道]]に進んで「御一新」と「旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」を布告している<ref name="gakken"/>。
 
年貢半減の布告は朝廷の了解を得ていたが、のちに撤回されている<ref name="gakken"/>。